高知県香美市土佐山田の松尾酒造はラベルに憲法9条の条文を印刷した日本酒「春夏秋冬・憲法9条」をつくっている。
松尾酒造
http://www1.ocn.ne.jp/~okina100/index.html
松尾禎之(松尾酒造七代目)は、こう語る。
「憲法と地酒という異なった二つのものですが、平和でなければいいお酒もゆっくり味わえません。9条の条文を読んで味わいながら、春夏秋冬・憲法9条をじっくり楽しんでもらいたいと思います。先代(六代目)は一九歳で召集され二等兵になり、軍隊でひどい目にあったそうです。戦争の悲惨さや辛さが身にしみているので、戦争には絶対反対ということで、9条ラベルに賛成してくれました。それと、私は大学は法学部でしたから、学生時代に憲法を学びました。憲法は、政治的な立場の右とか左とかを超えて、国家社会の基本を示すものです。憲法を守るのが政治の任務であって、憲法をないがしろにするのはまともな政治とは言えません。9条を踏みにじるような政治には大いに危惧を感じます。」
松尾酒造は、一八七三(明治六)年創業で、「松翁」をつくっている。土佐山田は、一七世紀に土佐藩執政・野中兼山が物部川に堰を設け、疎水を掘り、新田を開発した地域である。松尾家初代が土佐山田に移り住んで以来、この地で暮らしてきたが、六代目が酒造を始め、松尾酒造初代となった。姓が松尾であり、醸造の神様も松尾様なので、同音の「松翁(まつを)」を酒銘としている。現在は「まつおきな」と呼んでいる。
9条ラベルの発案は、地元「香美市9条の会」だった。酒を飲みながら、気楽に憲法9条を語ろうと思いついた。9条の会呼びかけ人に加わっていたこともあって、松尾禎之は9条酒づくりを快諾した。調べてみると、京都の佐々木酒造が「9条酒」を製造している。各地で「9条ビール」や「9条ワイン」を試みたグループもある。そうした事例を調べながら、独自の春夏秋冬・憲法9条を考案・製造した。ラベルにもこだわって、9条を全文印刷することにした。春夏秋冬としたのは、一年中どんな場所にいても9条を語ってほしいという願いからだ。
9条ラベル松翁は、当初は二種類のセットを考えていたが、女性の意見も踏まえて三種類となった。まず、吟醸松翁・春夏秋冬・憲法9条で、精米歩合六〇%、原料米は吟の夢・風鳴子だ。やわらかなデリシャスりんごの香とふくらみのある味わいにした。次に、純米松翁で、精米歩合五五%、原料米は風鳴子。すっきりした酸味とバナナ/メロン系の香で、料理との相性もいい。味わいなめらかな辛口だ。吟醸も純米も四合壜に詰めた。さらに、試飲会における女性たちの声を聞いて、ピンクの小瓶(三〇〇ミリリットル)の純米吟醸を加えた。精米歩合五五%、原料米は風鳴子。すっきりした酸味とデリシャスりんご系の香にした(春夏秋冬・憲法9条は、松尾酒造のウエブサイトから注文できる)。
香美市9条の会
代表の猪野睦によると、香美市9条の会は、二〇〇五年一月に結成された土佐山田9条の会に始まる。前年一二月に発足した高知9条の会の輪が県内に広がったのだ。9条の会は、思想、信条、支持政党の違いを超えて、戦争反対、9条改悪反対を呼びかけている。
土佐山田9条の会も、町内の書家、元教育長、元助役、茶道家、文学関係者など三四人が呼びかけ人となった。結成総会後、町内で講演会、映画『Little Birds――イラク戦下の家族たち』『戦争しない国日本』などの上映会を行った。
二〇〇六年、市町村合併で土佐山田町・香北町・物部町が合併して香美市になった。そこで土佐山田9条の会は香美市9条の会に発展した。その後も映画『日本の青空』上映会を行い、県内の他の9条の会との連携を模索してきた。
土佐山田の街中を歩くと、あちこちに緑の立て看板があるのに気づく。「憲法を守ろう」「戦争はいや」の看板は、土佐山田9条の会の頃につくって、多くの会員の協力の下に各所に設置した。三十数本に達する。香美市の各所にさらに増やしていきたいという。
また、各地の運動と同様に、9条グッズも手がけてきた。9条バッジや9条ストラップなど、9条グッズを手がかりに話題を繋ぎ、広げることができる。
こうした活動経過を踏まえて9条酒のアイデアが登場した。二〇〇八年六月、9条酒の完成を祝って「平和と酒のつどい」を開催した。
香美市9条の会によると、「待望の9条酒がうまいと評判を呼んでいます。濃紺の箱から取り出すと9条が目を引きます。ふだんあまり目にすることのない9条を読んでいくことで、日本国憲法の精神を再確認できます。これが世界に誇る平和憲法かと厳粛な気持ちにもなります。それから、さて一杯、とグラスについで、9条の精神にカンパイというのも、いいものです。秋の夜長には最高です。香美市から全国へ発信できる自慢の9条酒です」という(「香美市9条の会ニュース」二〇〇八年一一月より)。
歌い、語り、飲む
会員の岸野暢三は「川柳9条の酒」をつくった。
まつおきな 飲んで平和を 語るかい
9条を 肴に飲むや まつおきな
戦なき 平和に飲むや まつおきな
戦なき 平和に飲めや 宇宙さけ
憲法の 9条語ろう まつおきな
松はよし 翁よしやと 飲むお酒
憲法の 9条あればこそなり 酒うまし
「宇宙さけ」とあるのは、土佐宇宙酒のことだ。高知県内有志の会「てんくろうの会」が立ち上げたプロジェクトで、宇宙を旅した酵母を使い、日本酒を造ってしまおうという壮大な試みだ。土佐宇宙酒には、天を喰らうほどの壮大な夢とロマンが託されている。二〇〇五年、ロシアのソユーズロケットに積み込まれた高知県産の日本酒酵母が、宇宙のステーションで約八日間滞在し、無事地球へ帰還した。その後、土佐各地の蔵元に酵母が配られ、厳しい認定基準に基づき、世界初の「宇宙酒」が仕込まれた。それが毎年継続されている。
9条酒といい、宇宙酒といい、土佐ならではの挑戦だ。松尾酒造も土佐宇宙酒に取り組んでいるので、春夏秋冬・憲法9条小瓶五本セットには土佐宇宙酒も入っている。
上島寛児も、「春夏秋冬歌にのせて、酔えばまた歌のひとつも出てくるぞ」と、懐かしい歌を口ずさむ。春は朧月夜を口ずさみ、「菜の花畑はなくても朧月夜があればいい。憲法9条の心が溶けこんだ松翁純米吟醸一壺、じっくりと値千金も味わい」と歌い、夏は花火だと空を仰ぎ、「どん、の音と空に大きく広がる鮮やかな星はいいものだ。憲法9条への熱き想いを醸した松翁純米を今宵も」と杯を空にする。
香美市9条の会は、9条酒を広めることで、9条擁護の運動を広げようとしている。「お祝いとしてお誕生、ご結婚、還暦、ご就職、新築改築祝いに、ぜひ9条酒を。お中元やお歳暮にも、宴会や忘年会にもご指定ください。きっと9条をめぐって素敵な会話が始まります」。
松尾禎之は語る。
「大上段に憲法を語ることも必要ですが、同時に、いつでもどこでも誰でも憲法9条を語れることも大切ではないでしょうか。憲法9条はとても重いものですが、同時に、気楽に触れてみることもあっていいのではないでしょうか。9条酒をきっかけに憲法の歴史や、9条がつくられた背景を語り合えたら、それがやがて9条を守り、生かす力に繋がっていくと思います。」
9条酒をつくっているのは、松尾酒造だけではない。京都の佐々木酒造も、NPOねっとわ~く京都21の依頼で9条酒をつくっている。ねっとわ~く京都21は趣旨を次のように述べている。
「私たち日本国民にとってかけがえのない財産である日本国憲法――中でも戦争の放棄を誓った九条が今、改悪の危機にさらされています。身近なところから『STOP!平和憲法改悪』を発信したい、お酒を酌み交わしながら日本国憲法、そして憲法九条の素晴らしさを語り合いたい、そして何よりも憲法を活かす運動をすすめたい」(ウェブサイトより)。