Monday, November 28, 2011

検察改革は何をどう反省したのか

検察改革は何をどう反省したのか





首をすぼめて



 大阪地検特捜部証拠改竄事件の元特捜部長らに対する刑事公判が始まったが、本件を受けた検察改革が動いている。その一環として、検察の使命や役割を示すために最高検察庁が「検察基本規程」を作成しているといい、その原案が明らかになった(朝日新聞九月二五日付)。これまで検察には、国家公務員としての服務規律以外に、職務上の行動基準を明文化したものはなかったため、「検察の在り方検討会議」提言が「倫理規程」を提言したので、最高検が職員の意見を聞いてまとめたという。



 原案は、総論的な基本理念と、捜査・公判実務に関連して一〇項目の心構えでできている。記事によると「厳正公平、不偏不党を旨とする」「基本的人権を尊重し、刑事手続きの適正を確保する」「無実の者を罰しないようにする」「被疑者・被告人の主張を踏まえ、十分な証拠の収集に努め、冷静・多角的に評価する」「取り調べで供述の任意性の確保など必要な配慮をする」「犯罪被害者の心情を酌み、権利・利益を尊重する」「関係者の名誉を不当に害さないように、証拠情報を適正に管理する」「国民から託された責務の重大性を自覚し、幅広い知識や教養を身につける」などが主な項目だという。



中には「常に有罪を目的とし、より重い処分を実現すること自体を成果とみなすかのような姿勢になってはならない」「自己の名誉や評価のために行動することを潔しとせず、時としてこれが傷つくことも恐れない」などの表現も盛り込まれたという。証拠改竄については「証拠情報を適正に管理する」と明記したことが「特徴」だという。



要するに一般論である。この程度のことを今頃決めていること自体、お笑いでしかない。



また、大阪地検特捜部事件を受けて、法務省は春と秋の叙勲で元検察官の推薦を「自粛」しているという(朝日新聞九月二五日)。証拠改竄が発覚して以後、受賞はゼロで、今後も「世論の動きを見て判断する」という。新聞記事は「慎重だ」などと書いているが、ほとぼりが冷めるのを待っているのが本当のところだ。



首をすぼめてほとぼりが冷めるのを待つ。大阪地検特捜部の解体さえするつもりはない。検察基本規程をつくりましたと言えば、メディアや御用学者が追認してくれる。どうせ基本規程であって、法律ではない。一般論を書いておけば、あとはどうにでもなる。そもそも遵守義務はまったくない。そんなことより、反省するふりをしてどさくさまぎれに権限拡大を狙う。本年四月の国家公安委員長の私的諮問委員会「捜査手法、取調べの高度化を図るため研究会」中間報告、続く六月の法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会」の発足を見ると、検察改革が実際は権限拡大、治安維持強化を狙っていることがわかる(本紙前号の遠藤憲一論文参照)。



火事場泥棒あるのみ



 雑誌『ジュリスト』一四二九号(二〇一一年九月)は「特集・検察再生のゆくえ」を組んでいる。冒頭に座談会「検察改革と新しい刑事司法制度の展望」、次に松尾浩也(東京大学名誉教授)「検討会議提言を読んで」、続いて加藤俊治(法務省検事局参事官)「検察の在り方検討会議の議論の経過及び提言の実施状況」、最後に田口守一(早稲田大学教授)「新しい捜査・公判のあり方」が掲載されている。この構成自体が、特集が、検察不祥事を利用して行われる検察改革において「新しい捜査・公判」への道を払い清める役割を目指していることが分かる。



 座談会メンバーは、大澤裕(東京大学教授)、岡田薫(整理回収機構専務取締役、元警察庁刑事局)、田中敏夫(弁護士)、田中康郎(明治大学法科大学院教授、元札幌高裁長官)、三井誠(同志社大学教授)、渡邉一弘(東海大学法科大学院教授、元札幌高検検事長)である。座談会前半は「検察改革」をめぐってであるが、検察基本規程をめぐって検察の使命・役割・倫理に関していくつか発言があるものの、本田正義の「検察十戒」(一九七三年)や、客観義務論との関連で多少の反省が語られているだけで、見るべき発言はない。



座談会後半は「新たな刑事司法制度の構築」で、まず「取調べ・供述調書の偏重見直しと取調べの可視化」で、弁護士の田中敏夫が「私どもは取調べの可視化というのは全過程、つまり取調べの最初から最後までを原則録画、例外的に録音をするということだと定義付けしています」と述べて足利事件、布川事件などに言及しているが、司会の大澤裕が「全過程の可視化には反対論も少なくないですね」と応じて、田中敏夫が再反論している。田中敏夫の健闘が目立つが他の発言が少ない。元判事の田中康郎が公判の在り方について若干発言し、元検事の渡邉一弘が全過程の可視化には懸念・危惧がある、まだまだ疑問があると述べている程度である。一部録音・録画について賛否の発言が続くが、全体として消極的である。可視化以外に何も改革するつもりのないことが分かる。



ところが、「新たな捜査・公判の在り方」がテーマになると途端に発言が熱を帯びてくる。元警察庁の岡田薫がDNA型データベース、通信傍受、司法取引について矢継ぎ早に述べたてている。検察改革ではなく、警察のための制度改革である。これに対して田中敏夫がいくつか疑問を提起しているものの、岡田薫、渡邉一弘が牽引し、大澤裕と三井誠が補充する形で話が進行している。



特集最後の田口守一論文「むすび」の次の言葉が印象的である。



「もともと、取調べを重視し、供述調書に依存する刑事司法の形態それ自体が誤っていたという問題ではない。このような手続形態にはふさわしくない事件に対しても一律にこのような手続形態をモデルとしてきたことが反省されるべきだったのである。事件にはそれぞれ個性がある。刑事手続きも、その個性に対応できるように、より多様な手続形態を準備しておかなければならない。」



つまり、捜査当局の手を縛るような手続形態に問題があり、捜査当局が思いのままに活用できるように多彩な手続形態を用意すればよいというのである。大阪地検特捜部事件の教訓をこのようにまとめてしまうならば、捜査当局による供述強要がなくなることはないだろう。証拠捏造・改竄・隠蔽の捜査実務が改善されることは期待できないだろう。それどころか、事件の「個性」に応じたますます個性的な驚愕の冤罪が増加するだけではないだろうか。



「救援」510号(2011年10月)