Monday, March 26, 2012

加藤典洋『3.11 死に神に突き飛ばされる』

岩波書店、2011年


加藤典洋が脱原発に転向した、と話題になりましたが、その文章が1冊にまとめられました。結論は、原発はつなぎにとどめて、代替エネルギーに力を注ぎ、将来的に原発廃止、というものです。特に核燃料サイクルについてはすぐに廃止、です。核兵器問題や原発問題では吉本隆明に従ってきた著者ですが、福島原発事故以後、自分なりの思索を深めて、吉本隆明から一歩距離を置くことになったようです。



それにしてもストレートで明快な文章には驚きました。え、これが加藤さん?という感じです。『敗戦後論』の頃は、とにかく何かひねり、ねじらせ、ずらすことが自分の任務とばかりに、屁理屈がとぐろを巻いたような文章を書いていましたが、本書は違います。原発事故、放射能、子どもたちの被害をストレートに受け止めて、それでは自分に何ができるのか、何を考えるべきなのかとまっとうな問いを立て、理路整然と論述を進めています。



それでも原発維持をと唱える寺島実郎や立花隆への批判も見事です。よくある批判のパターンも採用しつつ、そこにとどまらないのが著者です。特徴は、日本の中で考えるべきことと、世界の中で考えるべきことを腑分けし、関連付けつつ、論じていることです。おもしろいのは、アトムとゴジラの会話です。原爆被害を受けたにもかかわらず原子力の平和利用に希望を託すアトムの物語と、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニの体験をもとに原爆の恐怖を体現するゴジラの物語の対比です。戦後の被爆者運動が、なぜ原発反対に向かわず、原子力の平和利用に向かったのかを解き明かす試みでもあります。この論点では、田中利幸論文を引き、田中さんに学びながら、さらに著者なりの観点で解釈をしています。



気になったのは、人道に対する罪について、従軍慰安婦問題では人道に対する罪であるという国際的評価がなされ、2000年に女性国際戦犯法廷が開催され、民衆法廷による責任追及がなされたにもかかわらず、原爆投下については、人道に対する罪という国際的評価が定まっていないうえ、「右の例に見るようなどのような民衆法廷も、開かれて、米国の原爆投下を非難するとともに全核保有国の核抑止政策を非難糾弾するというようなことは、行われていない」(175頁)と断定していることです。著者が繰り返し引用している田中利幸さんが「原爆投下を裁く国際民衆法廷」共同代表として、広島で民衆法廷を開催したのに。私も証人として参加しました。