知念ウシ・與儀秀武・桃原一彦・赤嶺ゆかり『沖縄、脱植民地への胎動』(未來社、2014年)
PR誌「未来」の連載を2年分まとめたもので、前著『闘争する境界』に続く「沖縄からの報告」単行本第2弾。
民主党政権の「裏切り」から、安倍政権になっての民意の無視と「堂々たる」基地の押しつけを前に、沖縄の怒りと苦悩が続く。普天間基地移設問題における県外から辺野古への転換と、問答無用の手続きの進行。「軍事的には沖縄である必要はないが、政治的には沖縄に基地を」というあからさまな差別。オスプレイ配備の強行と、それに伴う県民に対する暴力的排除。教科書問題における歴史の歪曲と民主主義の否定。文化と芸能の簒奪と利用。政治、経済、社会、文化、教育、あらゆる分野にわたって根深く、しかも着実に進められる植民地主義の開き直りと礼賛。腐敗が人間の姿をして登場してくる。侮蔑が背広を着て訪問して来る。誹謗中傷が霰のように降り注ぐ。2014年の終わりを迎えようとする現在、沖縄に対して「植民地支配」を強行している宗主国の人民の一人として本書を読むことは、何を意味するのか。
私の思考の基本は、徐勝との共編『文明と野蛮を超えて』(かもがわ出版)と、木村朗との共編『21世紀のグローバル・ファシズム』(耕文社)において一応示したが、まだまだ不十分である。今回、東北アジア歴史財団の主催で、ソウルで植民地責任をめぐるシンポジウムに参加し、「植民地犯罪」について報告することが出来た。成田と仁川の往復の飛行機の中で本書を通読したおかげで、植民地をめぐる思考を明晰にすることが出来たように思うが、どのように理論化するべきか、まだ定かではない。国際法における植民地犯罪概念の歴史と削除の過程にどのように学ぶべきか。民衆の法思想形成において植民地犯罪論と植民地責任論をどのように組み立てるべきか。平和思想と平和運動と反基地闘争と反植民地闘争をどのように接合し、総合的に整理し直すべきか。植民地宗主国に生まれ育ち身に着けた、内なる、精神の植民地主義をいかにして克服しうるのか。7月11日の琉米条約150周年に際して『琉球新報』から提示された問いにどのように応答していくべきか。あの時「植民地犯罪論の重要性を」と答えたことについては、今回、かろうじて植民地犯罪論の入口に辿りつくことが出来たが、その次の一歩をどう歩むのか。沖縄の知識人が模索する「脱植民地化」を読みながら、「旧宗主国側の脱植民地化」の可能性を問い続けることが当面の課題である。