大江健三郎『同時代としての戦後』(講談社、1973年)
学生時代に大学の図書館の開架書庫で読んだ。何年生の時だったか記憶にないが、たぶん1年生か2年生だっただろう。というのも、本書を読んで、戦後文学をかなり意識的に読むようになったが、当然のことながら野間宏『暗い絵』『真空地帯』から読み始めた。それが2年生の時だった。その後もしばらく私にとって本書は「戦後文学の案内書」であったし、今でも狭い意味での「戦後文学」については大江の思考枠組みに影響されている。つまり「終末観的ヴィジョン・黙示録的認識」という大江のキーワードに導かれて「戦後文学」を読んでいた。
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本書の目次は次の通りである。
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われわれの時代そのものが戦後文学者という言葉をつくった
野間宏・救済にいたる全体性
大岡昇平・死者の多面的な証言
埴谷雄高・夢と思索的想像力
武田泰淳・滅亡にはじまる
堀田善衛・Yes I do.
木下順二・ドラマティックな人間
椎名麟三・懲役人の自由
長谷川四郎・モラリストの遍歴
島尾敏雄・「崩れ」について
森有正・根本的独立者の鏡
死者たち・最終のヴィジョンとわれら生き延び続ける者
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井伏鱒二、中野重治、大西巨人が取り上げられていないが、大江は戦後文学の地図をていねいに描き出し、戦後文学の継走者としての自分を測定し、鍛え直している。文学への道を歩まなかった学生の私にとって、大江の案内に従って戦後文学を読むことは、結構、精神的に豊かな気分のする趣味であった。主には岩波文庫や新潮文庫だったが、図書館には単行本も置かれていたので、幅広く読むように心がけた。もっとも、長谷川四郎と島尾敏雄はほとんど読んでいない。
最後の「死者たち・最終のヴィジョンとわれら生き延び続ける者」では、1951年に45歳で自殺した原民喜、1965年に50歳で肝硬変で死んだ梅﨑春生、1970年に45歳で割腹自殺した三島由紀夫を取り上げて、それぞれの「終末観的ヴィジョン・黙示録的認識」に迫っている。なぜか高橋和巳が取り上げられていない。大江にとって近すぎたのかもしれない。
当時は気にとめなかったが、今回読んでみて真っ先に気づいたのは、大江が取り上げた戦後文学者がすべて男性であることだ。時代の限界か、大江らしさか、それとも・・・