熊谷奈緒子『慰安婦問題』(ちくま新書、2014年)
序章 慰安婦問題の争点
第1章 慰安婦問題の特殊性と「普遍性」
第2章 戦争責任・戦後補償における慰安婦問題
第3章 アジア女性基金は道義的責任を全うしたか
第4章 性暴力問題のパラダイム転換――同義とフェミニズムによる挑戦
終章 真の和解に向けて
昨年6月出版の本だが購入しただけで読んでいなかったので、今回読んでみた。「特定の立場によらない、真の和解を目指して」「冷静な議論のためにいま何が必要か?」と言う宣伝文句が付されている。著者は1971年生まれ、国際関係論専攻で、国際大学大学院専任講師。90年代の戦後補償運動が盛り上がった時期、「慰安婦」問題が浮上し、大きな話題となり、運動の取り組みがなされていた時期に学生だったようだが、運動には加わっていなかっただろう。そのため、当時の運動や政治の経過を外から冷静に考察することが可能となっていると言える。
小さな新書だが、被害者、韓国の支援運動、韓国政府、日本政府、日本の歴史研究、日本の戦後補償運動などをバランスよく取り上げて、コンパクトに整理している。民族主義、ポストコロニアリズム、フェミニズムを重ね合わせる多面的な理解を提示する努力である。「慰安婦問題はひどく微妙で難しく、近いようで遠い存在である。近く感じることがあっても、そういうときはかえって避けたいと思わせる問題でもあった」と述べながら、この問題に向き合い、調査・研究し、独自の分析を試みている。「慰安婦」問題が国際政治課題となって四半世紀であり、解決を目指す運動も、今や研究対象となったのであろう。その意味では本書のような外部からの研究には大きな意味がある。「客観的」研究という意味ではない。「客観的」と称する研究がむしろ隠された主観的意識に導かれていることはよくあることだ。本書が「特定の立場によらない」というのは、どのような意味があるのか。
確かに、これまで日韓の間で対立してきた論点について、いずれかの立場によるのではなく、いったん突き放して、再整理する努力が見られる。それがいかなる立場なのかは、不明瞭であるが、著者なりの立場であることは確かである。著者は抑制のきいた文章で、かつバランスをとった記述に心掛けているとはいうものの、それにもかかわらず、「慰安婦」像や、パク・クネ大統領の姿勢など、韓国側の対応が問題解決を難しくしたと繰り返し主張している。朴裕河の和解論を紹介し、それに依拠するのではないが、一定の肯定的評価を与えている。結局、和解には被害者側の努力が必要という主張になる。
この議論が成立するためには、日本政府が誠実に和解のための努力をしていることが前提として確認されていなければならない。しかし、そうした前提が成立しないと言うのが韓国側の見方であれば、著者の議論は観念論にすぎなくなる。このためか著者は安倍晋三首相をはじめとする日本政府側の発言をなるべく引用しないように努力しているように見える。被害者に特定の立場による和解を押し付ける議論を私はとても採用できない。
著者の結論は河野談話の維持とアジア女性基金の続きである。アジア女性基金については過半数の被害女性が拒否したにもかかわらず、一部であっても受け入れた女性がいるのだからアジア女性基金を肯定するべきであり、終了したアジア女性基金を継続するべきと言う主張である。ということは、アジア女性基金を拒否した被害者に対して再びアジア女性基金の受け入れを迫るべきだと言う意味になる。ここが理解できないところである。
ともあれ、慰安婦問題について、これまでとは異なる様々な観点から検証がなされることは大切である。運動に携わってきた側も、著者の問題提起を受け止めて冷静な議論をしていくことができるだろう。