Tuesday, January 30, 2018

目取真俊の世界(2)沖縄戦の記憶と戦後の記憶


目取真俊『水滴』(文藝春秋、1997年)
目取真俊の作家デヴューは1983年の「魚群記」(琉球新報短編小説賞)から86年の「平和通りと名付けられた街を歩いて」(新沖縄文学賞)の頃だが、全国レベルで知られるようになったのは97年の芥川賞の「水滴」だろう。私が最初に読んだのは「水滴」だった。
主人公の足が肥大化し、そこからあふれ出る「水」がもたらす悲喜劇を独特の文体で仕上げた「水滴」には、沖縄戦の記憶と、戦後の沖縄の暮らしと記憶が鮮やかに組み込まれている。滑稽な不条理というか、もの悲しい可笑しさを帯びた風景は、沖縄ならでは、である。沖縄という場が持つ力と言えば、言えるかもしれないが、目取真俊でなければ、こうはいかない。初めて読んだ時の印象は確かに強烈だったが、私の読解力では十分太刀打ちできなかったのかなと、今になって思う。
「風音」も、沖縄戦の記憶に憑りつかれ、そこから逃れられない生きた死体と死んだ生体のぶつかり合う軋み音を通じて、沖縄のいまを問う。そのいまは、1997年当時の「いま」であるが、おそらく2018年の「いま」でもあるだろう。特攻隊の若者のしゃれこうべと万年筆。怪我ゆえに特高に散ることを奪われ、戦後のテレビ界に生きた人生。米軍の攻撃する森を夜陰に走り抜けた少年の戦後。記憶が交差し、もつれながら、ひそやかに風音の彼方に消えていく。
「オキナワン・ブック・レビュー」では、架空書評記の体裁をとって、沖縄戦、米軍基地、天皇制の輪舞を浮かび上がらせる。天皇制と天王星。ユタとユタ州とユダヤ人。言葉遊びを繰り返しながら、沖縄の「いま」を、米軍による民衆殺戮という文学的想像力の所産として哄笑ととともに打ち出す。「米軍基地を追い出すためには、沖縄が米軍にとって安楽な場所ではないことを思い知らせる、最低の方法しかない」と述べる現在の目取真俊と、ベクトルは違うが、意匠は同じであろう。
かくして目取真俊の世界が一気に提示された。沖縄戦、米軍基地、天皇制というターム、手あかの付いたモチーフに新鮮な鋭角を刻むその手つきの鮮やかさに、かつて驚かされた読者としては、ここから始まる目取真の世界を隅々まで体験する楽しみと同時に、あらゆる差別と負担を押し付けている本土の人間の一人として恥と罪の総体を再検証する責任を痛感するしかない。

Monday, January 22, 2018

目取真俊の世界(1)むきだしの国家暴力に抗して

辺見庸・目取真俊『沖縄と国家』(角川新書、2017年)
<沖縄という傷口から噴き出す、むきだしの国家暴力>
<基地問題の根底に横たわるこの国の欺瞞を、闘う二人の作家が仮借ない言葉で告発する!>
第1章 沖縄から照射されるヤマト
第2章 沖縄における基地問題
第3章 沖縄戦と天皇制
第4章 国家暴力への対抗
あの辺見庸が言葉少なに、目取真俊の射撃のような言葉を浴びせられている。辺野古や高江の現場で、米軍や警察・機動隊や海上保安庁相手に、体を張って基地機能をマヒさせ、基地建設を押しとどめるために闘い続けている目取真俊の烈しい怒りに、辺見庸は同調し共感しつつ、圧倒されている。
沖縄から米軍基地をなくすために、基地ゲート前の座り込みという非暴力、不服従、かつ実力行使の闘いを経験する中から、単なる集会や演説や観念的な論説を撃ち、ぎりぎりの闘いの本領を提示する。米軍基地を追い出すためには、沖縄が米軍にとって安楽な場所ではないことを思い知らせる、最低の方法しかない。懇願や批判や要請や哀願や勧告で成果を上げることなどできない。そのことを突きつける目取真の厳しさを、辺見は肯定し、受け止めるが、それでも「わたしはどうしたってわたしである。わたしでしかない。なにをどうやっても。」とつぶやく。「あなたの書くことの仮借のなさ、でしょうかね、それだとおもうんですよ。このホンドの、進歩的知識人といわれている人間たちには、その仮借のなさがまったくない。」と述べる辺見は、自分が「進歩的知識人」の側にいることを恥じらい、自ら怒り、目取真とともに闘う課題を再確認する。
目取真の矛先はストレートに私に向けられている。繰り返し読む必要がある。
「沖縄の反基地運動が大きくなって、本当に海兵隊が撤退する、沖縄の米軍基地の存続が危うくなるような状況になった時、ヤマトのメディアや市民の反応は大きく変わると思います。沖縄の反基地運動をつぶそうという動きが露骨になるし、最後は自衛隊が出動するだろうと思いますよ。沖縄居自衛隊を配備しているのは、中国から領土を守るだけではなくして、沖縄で反基地の暴動が起こった時、それを鎮圧するためにいると思います。」
本書は共同通信編集委員の石山永一郎の企画である。
10年近く、「非国民」という授業(演習)をやってきた。日本の大学に他に類例のない授業だろう。幸徳秋水・管野すが、金子文子・朴烈、石川啄木、鶴彬、槇村浩、小林多喜二、尹東柱などを取り上げてきた。また、井上ひさし、大江健三郎の主要作品を読み直してきた。『非国民がやってきた!』『国民を殺す国家』『パロディのパロディ――井上ひさし再入門』(いずれも耕作社)という3冊の本もつくった。そして昨年末、大江健三郎の主要作品の読み直しが一段落した。
今年はどうしようか、だれを読もうかと考えた。候補は多数いるが、大江健三郎の主要作品を読み直すのに4年かかった。作品の多い作家を取り上げると、他の作家を読む時間が取れなくなる。悩んだ結果、いまもっとも重要な作家だが、作品数が多くはなく、しかも、現在は現場の基地反対闘争に専念しているがゆえに作品を書く余裕のない状況に置かれている目取真俊を読み直すことにした。
読み直すと言っても、読んだのは『水滴』『魂込め』『沖縄「戦後」ゼロ年』程度だ。短編「希望」も読んだが。
今年は目取真俊をじっくり読もう。沖縄について、それ以上に日本について考えるために。9条改悪阻止、日米安保解消、平和への権利、市民的不服従、無防備地域運動への取り組みを発展させるために。


Monday, January 15, 2018

ヘイト・クライム禁止法(144)スペイン

スペイン政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/ESP/21-23. 28 November 2014)によると、刑法312条、510条、515条、610条、及び2007年のスポーツにおける暴力、人種主義、外国人排斥、不寛容に関する法がある。「人種主義、人種差別、外国人排斥及び関連する不寛容に対する包括戦略」に刑法改正草案が含まれ、議会で審議中である。集団又はマイノリティに対する憎悪及び暴力の煽動行為の規制が含まれる。
 提案された改正は次の2つの類型である。
 第1に、直接間接を問わず、人種主義、反ユダヤ主義、その他イデオロギー、宗教、民族性、他のマイノリティに対する姿勢に基づいて、個人又は集団に対して憎悪又は暴力を煽動する行為。これには、憎悪又は敵意並びにジェノサイドや人道に対する罪の否定の煽動しそうな資料の作成、開発、配布が含まれる。
 第2に、個人及び/又は集団に屈辱を与え又は侮辱を示す行為、個人及び/又は集団若しくはその構成員に対して差別的理由から行われた犯罪を正当化又は擁護する行為。
 これらの犯罪がインターネット又はその他のソーシャルメディア上で行われた場合は刑罰加重事由となる。当該犯罪を行うために用いられた文書、記録、資料の破棄又はアクセス制限が含まれる。犯罪組織が関与した事案では刑罰が加重される。
 裁判官及び裁判所が命令することのできる特別措置として、刑法510条の改正案は、犯罪に用いられた資料等の破棄、削除が盛り込まれている。
 「人種主義、人種差別、外国人排斥及び関連する不寛容に対する包括戦略」には、次の意識啓発の要素が含まれる。政党が、人種又は民族的出身、信念又は信仰の支持を理由として、人々の集団を犯罪者と一般化又は特徴づけることを避けるよう勧告すること。政党が、公開の議論において、軽蔑的、人種主義的、差別的言語を用いることを避けるよう勧告すること。差異、平和共存、調和を理解し尊重する政治的議論、平等への権利の尊重を助長する議論を促進すること。差別、拒絶又は暴力を公的に非難すること。
 平等処遇・差別防止委員会は、2011年5月、「選挙運動期間の差別、人種主義又は排外的演説の回避」を決議した。決議には「移住者についてポピュリズム的、排外的、デマゴギー的演説」を回避することも含まれる。
 人種差別撤廃委員会はスペイン政府に次のように勧告した(CERD/C/ESP/CO/21-23. 21 June 2016)。マスメディアやソーシャルメディアにおけるさまざまなマイノリティに関する否定的なステレオタイプがある。犯罪報道においてメデチィアが被告の民族的人種的出身に言及する傾向がある。独立公正な機関を設置、又は既存の機関を再編して、マスメディアやソーシャルメディアにおけるステレオタイプを克服するための特別措置を取るよう勧告する。人種佐部悦撤廃条約4条及び7条に合致して、憎悪や人種差別の煽動と闘うメディアの責任ある利用を促進するよう勧告する。
 なお、スペイン政府の前回報告書について、前田『ヘイト・スピーチ法研究序説』617頁。

Saturday, January 13, 2018

ヘイト・クライム禁止法(143)ルワンダ

ルワンダ政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/RWA/18-20. 12 December 2014)によると、憲法はダーバン宣言や人種差別撤廃条約等を尊重している。1994年にルワンダではジェノサイドが発生した。2003年の憲法第9条は、ジェノサイドの思想との闘い、民族的地域的分断の根絶、法の支配による統治の確立、女性と男性の平等、そのための意思決定機関における女性比率30%以上を掲げている。憲法第11条は、権利と義務の平等を明示し、民族的出身、部族、皮膚の色、地域、社会的出身、宗教又は信仰、意見、経済状態、文化、言語、社会的地位、心身の障害に基づく差別は法によって禁止され、処罰されるとしている。
刑法第135条は、ジェノサイド思想の犯罪、その他関連する犯罪を行った者は5年以上9年以下の刑事施設収容、及び10万ルワンダフラン以上100万ルワンダフランの罰金に処すとしている。差別犯罪を行った者は5年以上7年以下の刑事施設収容、及び10万ルワンダフラン以上100万ルワンダフラン以下の罰金とする。
差別・セクト主義法第1条、7条、8条によると、差別の煽動及び宣伝は非難され、処罰される。
刑法第136条は、ラジオ、テレヴィ放送、集会又は公共空間において、人を差別し、セクト主義の種をまく目的で、言説、文書、絵画・図像、シンボルを公表した者は、7年の刑事施設収容及び10マンルワンダフランの罰金とする。
差別・セクト主義法第1条によると、差別とは、民族、地域、出身国、皮膚の色、身体特徴、性別、言語、宗教に基づく言説、文書又は行動、あるいは個人や集団を拒む思想を意味する。セクト主義とは、人々を分断し、人々の間に紛争や、差別に基づいて人々の間に争いを引き起こす言説、文書又は行動を意味する。
差別・セクト主義法によると、政府公務員、元公務員、政党職員、民間セクター代表、NGO代表等は、差別犯罪について6月以上1年以下の停職とする。重大な結果を惹起した場合、刑罰を2倍とすることができる。
1994年のジェノサイドを経験したので、ルワンダはジェノサイドの思想に寛容ではありえない。人種差別の理論に基づく宣伝と団体の予防のため、憲法第33条は、差別に基づく思想の宣伝を非難する。2012年の政府機構法は結社は不法目的や、法、公共秩序、道徳に違反する場合は認められない。
刑法第647条は、公共の利益に関わる公共サービスに従事する者が、サービスを受けようとする者に、不当に便宜を図り、憎悪、又は縁故者に有利に決定を行った場合、1年以上3年以下の刑事施設収容、及び30万ルワンダフラン以上200万ルワンダフラン以下の罰金とする。
人種差別撤廃委員会はルワンダに次のように勧告した(CERD/C/RWA/CO/18-20.10 June 2016)。ルワンダが刑法改正中であることに留意するが、刑法が人種差別撤廃条約第4条の要素を完全に満たしていないことは残念である。条約第4条に関連する一般的勧告7号、15号を想起し、刑法改正作業を加速し、条約第4条の要素を盛り込むよう勧告する。

Thursday, January 11, 2018

ヘイト・クライム禁止法(142)オマーン

オマーン政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/OMN/2-5. 24 December 2014)によると、第1回報告書審査の結果、人種差別撤廃委員会はオマーン政府にヘイト・スピーチ処罰法の制定と人種差別的な組織暴力の抑止を勧告した。オマーン刑法には人種差別を抑止する規定がある。ジェンダー、人種、その他の理由に基づいた集団に対する差別を禁止する規定である。刑法第130条bisは、宗教宗派紛争又は住民の間に憎悪又は忌避の感情を助長又は煽動した者は10年以下の刑事施設収容とする」と、重大犯罪の刑罰を定めている。
オマーン基本法第17条は平等を定め、基本法第75条、第76条、第80条は、締結した条約の遵守を定めている。
人種差別撤廃委員会はオマーン政府に次のように勧告した(CERD/C/OMN/CO/2-5. 6 June 2016)。条約第1条に合致した人種差別の定義、条約第4条に合致した立法が存在しないことに関心を有する。人種差別を防止しこれと闘う包括的な立法が行われていない。一般的勧告7号及び15号を想起して、条約第1条の定義、及び第4条の要請に従った立法、人種差別を助長及び煽動する組織を禁止する立法を行うよう勧告する。

Sunday, January 07, 2018

インタヴュー講座<憲法再入門――立憲主義をとり戻すために> 平和力フォーラム2018



インタヴュー講座<憲法再入門――立憲主義をとり戻すために>



安倍政権は2020年に向けて改憲をめざし、9条改悪を公言しています。市民運動の中にも「9条加憲」論を始め、多様な9条改悪論が浸透しています。

人類が積み重ねてきた平和主義と平和への権利の歴史を踏まえ、第二次大戦の惨禍への反省に立って、日本国憲法前文の平和的生存権と、9条の戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認が生み出されました。それは近代国家における立憲主義や民主主義をさらに前進させようとする人類史的な挑戦でもありました。

また、2016年12月には国連平和への権利宣言、2017年7月には核兵器禁止条約が採択されました。

しかし、安部政権は平和への権利にも核兵器禁止にも反対し、他方で戦争を煽ってきました。戦争と危機を煽り、内外の人々の尊厳と連帯を破壊する安倍政権に憲法改悪を許せば、日本はとめどない戦争国家に転落します。

憲法と平和主義の危機に直面して、私たちは再度、平和主義、立憲主義、民主主義の真価を問い直さなくてはなりません。同時に、その限界も見据えなくてはなりません。

そこで、私たちは<憲法再入門>のために、憲法学者、平和運動家をお招きして、市民による平和づくりの憲法論を学び直します。



<2018年/インタヴュー講座>  *第7回は講演形式

第1回:4月7日(土)午後

    水島朝穂(早稲田大学教授)「立憲主義をとり戻すために」    

第2回:4月14日(土)午後

    小沢隆一(東京慈恵医科大学教授)

                                 「憲法は誰のものか 安倍改憲論の基本認識を問う」

第3回:5月19日(土)午後

    清水雅彦(日本体育大学教授)「安倍政権の改憲論を斬る」

第4回:5月20日(日)午後

    田中利幸(元広島市立大学平和研究所教授)

                  「日本国憲法の光と影」

第5回:6月9日(土)午後

    飯島滋明(名古屋学院大学教授)「安保法制違憲訴訟の現状」

第6回:7月21日(土)午後

    清末愛砂(室蘭工業大学准教授)「国のかたちと家族のかたち」

第7回:9月15日(土)午後

    前田朗(東京造形大学教授)「表現の自由を守るために」

第8回:10月13日(土)午後

     宋連玉(青山学院大学名誉教授)「日本国憲法と植民地主義」



*インタヴュアー:前田朗

*資料代:500円



主催:平和力フォーラム

192-0992 東京都八王子市宇津貫町1556

東京造形大学・前田研究室

042-637-8872

E-mail:maeda@zokei.ac.jp



協賛団体:

アジア・フォーラム横浜

「慰安婦」問題解決オール連帯ネットワーク

沖縄と東アジアの平和をつくる会

女たちの戦争と平和資料館(wam

九条科学者の会

憲法9条―世界へ未来へ連絡会

国分寺9条の会

子どもの未来を望み見る会

実教出版教科書・五輪読本問題に関し、違法不当な都教委を訴える会

市民セクター政策機構

スペース・オルタ

東京都学校ユニオン

日本反核法律家協会

日本友和会

ピースボート

本郷文化フォーラムワーカーズスクール(HOWS)

マスコミ市民フォーラム

町田「慰安婦」問題を考える会

無防備地域宣言運動全国ネットワーク

村山首相談話の会



*協賛団体募集中。お問い合わせは 前田へ maeda@zokei.ac.jp

Saturday, January 06, 2018

立ち上がる勇気をくれた人々

「新春トークコンサート 忖度を笑う 自由を奏でる」(成城ホール)に参加した。
Ⅰ部 松元ヒロ ソロライブ
Ⅱ部 崔善愛 ピアノ独奏
Ⅲ部 植村隆✕崔善愛✕松元ヒロ
Ⅰ部はパントマイマー&コントの松元ヒロによるソロライブ。政治情勢を取り上げ、定番の「憲法くん」を演じた。<ザ・ニュースペーパ>結成が1988年だから、私はまもなく、30年、ザ・ニュースペーパーや、松本ヒロのソロライブを楽しんできたことになる。
*
Ⅱ部は崔善愛によるショパンの演奏であった。崔善愛の指紋押捺拒否の闘いも30年の歴史を刻む。演奏はショパンの、幻想即興曲嬰ハ短調、ノクターン嬰ハ短調<遺作>、バラード第1番ト短調、別れの曲ホ短調。最後は別れの曲だが、出会い直すための別れの曲だろう。この社会を編成し直すための別れの曲であろう。
*
Ⅲ部は座談会の予定だったが、植村隆の事件報告で時間がほとんどなくなった。「慰安婦」報道に難癖をつけられ、ネット上でさらし者にされ、猛烈な攻撃の中、家族への危害まで心配しながら、苦悩の日々を送らざるをえなかった植村自身の事件報告である。激流に翻弄されながら、過去の報道記録を徹底的に明らかにし、裁判闘争に打って出た植村の闘いである。
植村の慰安婦取材、政治家やメディアによる歴史修正主義の跋扈、そして植村バッシングの歴史も、同様に30年の出来事である。
*
安倍晋三の歴史攻撃、自由主義史観研究会に始まる歴史偽造、教科書攻撃、NHK番組改ざん事件、朝日新聞叩きも、30年の歴史になろうとしている。この30年の逆流の激しさをいまさらながらの思いで振り返った。
過去の侵略戦争と植民地主義の事実を抹消し、加害者と被害者を抹消し、新たな戦争策動に励む安倍政権に代表される日本政治と社会の腐敗はあまりにも深く進行している。愛国主義、軍国主義、排外主義、対米従属、嫌韓嫌日、ヘイト・クライム、ヘイト・スピーチの日本の歴史と誇りを掲げる反知性主義。その先は、2018年の明治150年、天皇生前譲位、そして2020年の東京オリンピックと憲法破壊である。
こうした流れの中に、植村隆の裁判闘争がある。事実を伝え、自由と平等を追求し、ヘイト・スピーチのない社会をつくるために立ち上がる勇気を、植村隆崔善愛松元ヒロの3人が教えてくれた。二次会懇親会でも、社会を壊し、民主主義を壊死させる反知性主義との闘いの厳しさと、必然性を、そして敢然と立ち向かう決意をジャーナリストたちが語ってくれた。

Thursday, January 04, 2018

映画『否定と肯定』を観た

映画『否定と肯定』(監督:ミック・ジャクソン、2016年)を観た。
原題はDenialで、「否定(否認)」であり、歴史修正主義の意味だ。フランスやドイツなら犯罪に当たる言説が、イギリスでは犯罪ではなく、それどころか原告として堂々と法廷に登場する。「否定と肯定」と単純に並べると、本来の意味が見失われる恐れがある。「事実と否定」とした方が正しい。実際に映画を観れば誤解はなくなるが。
本作は、原告のホロコースト否定論者アーヴィングが、歴史学者リップシュタットを名誉毀損で訴えた実話を基にした映画だ。
ちょうど当時、日本でも「アウシュヴィツの嘘」をめぐる議論が起きていたので、細々ながら報道されていた。国際法におけるホロコースト否定論や名誉毀損に関する法律書にも登場する有名裁判だ。ツンデル裁判やフォリソン裁判と並ぶいわくつきの裁判でもある。結末は知っていたが、裁判経過の詳細は知らなかった。
おもしろかったのは、イギリスの裁判の特徴を踏まえている点だ。バリスターとソリシターの区別は、日本とは異なる。名誉毀損裁判における立証責任のあり方も異なる。このことがリップシュタットを苦境に追い込む。被告に立証責任が負わされる。アウシュヴィツを生き抜いたサバイバーを法廷に立たせると、アーヴィングによる侮辱の被害にさらすことになってしまう。被告リップシュタットが沈黙に耐えながら、弁護チームが法廷闘争に細心の注意を払う。その醍醐味が見せ所だ。
日本で言えば、「慰安婦の嘘」や「南京大虐殺の嘘」に相当するが、日本の裁判所では真逆の結末が引き出される。事実と法理に基づいた裁判が行われないからだ。
韓国では、朴裕河の『帝国の慰安婦』をめぐる民事裁判と刑事裁判が知られる。違いは、
歴史的犯罪の被害者本人が原告となり、刑事告訴をした点だ。一部の論者は被害を否定して、問題を表現の自由や学問の自由にすり替える。しかし、名誉毀損をする表現の自由や、学問の特権を主張しているに過ぎない。ごまかしに惑わされずに、事実と法理に基づいて法律要件のあてはめをすればおのずと結論が出てくる。現に刑事裁判控訴審は名誉毀損の有罪を導き出した。映画『否定と肯定』とは異なる文脈で、異なる論点である。ここを取り違える議論が見られるが不適切である。

Wednesday, January 03, 2018

「慰安婦」問題と未来への責任とは

中野敏男・板垣竜太・金昌禄・岡本有佳・金富子 編『「慰安婦」問題と未来への責任――日韓「合意」に抗して』(大月書店、2017年)
序章       日本軍「慰安婦」問題でなお問われていること――「終わらせる合意」に抗して(中野敏男)      
第Ⅰ部    「慰安婦」問題は終わらない――「解決」を問い直す
第1章    「慰安婦」問題の解決をめぐって――加害責任を問うことの意義(板垣竜太)   
第2章    日韓「合意」の何が問題なのか(吉見義明)             
第3章    「法的責任」の視点から見た二〇一五年「合意」(金昌禄)    
第4章    日韓のメディア比較――「合意」をめぐって何を伝え、何を伝えなかったのか(岡本有佳)          
第5章    国連人権機関による日韓「合意」の評価―女性差別撤廃委員会を中心に(渡辺美奈)      
コラム    「和解」という暴力――トランスパシフィック・クリティークの視点から(米山リサ)   
第Ⅱ部    強まる「加害」の無化――新たな歴史修正主義に抗する
第6章    破綻しつつも、なお生き延びる「日本軍無実論」(永井和)    
第7章    『帝国の慰安婦』と消去される加害責任――日本の知識人・メディアの言説構造を中心に(金富子)          
第8章    フェミニズムが歴史修正主義に加担しないために――「慰安婦」被害証言とどう向き合うか(小野沢あかね)             
コラム    声を上げた現代日本の被害者たち。その声に向き合うために(北原みのり)      
第9章    アメリカで強まる保守系在米日系人・日本政府による歴史修正主義(小山エミ)
コラム    安倍政権と「慰安婦」問題――「想い出させない」力に抗して(テッサ・モーリス=スズキ)       
第Ⅲ部    未来への責任――正義への終わりなき闘い
第10章 「慰安婦」問題を未来に引き継ぐ――女性国際戦犯法廷が提起したもの(池田恵理子)               
第11章 未来志向的責任の継承としての日本軍「慰安婦」問題解決運動(李娜榮)      
第12章 戦争犯罪への国家の謝罪とは何か――ドイツの歴史を心に刻む文化(梶村太一郎)      
コラム    マウマウ訴訟と「舞い込んだ文書群」(永原陽子)    
第13章 サバイバーの闘いをどう受け継ぐのか(梁澄子)   
「慰安婦」問題解決運動関連年表
証言集・テレビ/ラジオ番組・映像記録一覧
日韓「合意」の2年目に韓国政府による検証が公表された。被害者の意向を無視して拙速に「合意」がなされたこと、加害者の日本が被害国側に「義務」を押し付ける偏頗な「合意」であったこと、当時は公表されなかった「裏合意」があったことが明らかにされた。国際法に反した内容であり、被害者中心アプローチは無視され、とうてい維持できない代物だが、韓国政府が「合意」してしまった事実は変えられない。朴槿恵政権の野放図な無責任が重くのしかかる。
「日韓「合意」に抗して」との副題の本書は、検証公表以前に出版されたが、「被害者の声を受けとめる」ことと「未来への責任」を正面から問うことを課題にしているので、その射程が広く、検証公表の機に適った必読の書である。全13章、4本のコラムのいずれも読みごたえがあるが、一つひとつ紹介する余裕はない。
「序章    日本軍「慰安婦」問題でなお問われていること――「終わらせる合意」に抗して」において、中野敏男は、被害者も加害者も消去してしまうトリッキーな「日韓」合意の異様な限界を指摘し、沈黙を破って戦い続けた被害者の主体形成の過程に着目する。被害者も加害者も消去する手法は、アジア女性基金、NHK番組改ざん、日韓「合意」、朴裕河『帝国の慰安婦』を貫く<歴史修正主義>である。「慰安婦」問題は終わらない。それゆえ、私たちは「未来への責任」を引き受けることから歩きなおさなければならない。
中野が差し出し、引き受ける課題は、四半世紀を超えた「慰安婦」問題解決を求める運動がつねに向き合ってきたにもかかわらず、つねに権力的に妨害されてきた課題でもある。他者の奴隷化と戦時性暴力の歴史を終わらせる世界史的課題と直接リンクする課題の困難さを改めて痛感しながら、私たちは知性と感性を総動員して自らの立ち位置を再確認していく必要がある。
激しく揺れ動く現代史を見据えながら、<私たちは何者でありたいのか>を問うこと――それは一つの問いではなく、無数の問いにより迷路のごとく組み立てられている。
だが、私たちは迷路を素早く通り抜けてはならない。本書は数々の論点に多面的多角的に照射することで、迷路の片隅までたどり、反芻し、時に悩み、時に身を震わせながら、たしかな連帯と希望の歩みを提示する。
本書の編者たちは、2016年3月28日に東京大学で開催された研究集会の主催関係者である。そこには、朴裕河支持派50名と批判派50名の研究者が参加して、討論した。本書の編者たちはその記録の出版を提案したが、消極論者によって拒否された。ところが、朴裕河支持派にして出版消極論者は、その後、突如として、浅野豊美・小倉紀蔵・西成彦編著『対話のために――「帝国の慰安婦」という問いをひらく』(クレイン)を出版した。「対話のために」というタイトルにもかかわらず、反対論者を侮辱することだけを目的とした言葉が山積みになっており、「対話拒否のために」出版されたとしか考えられない。同書について下記参照。
預言者イエス=朴裕河と15人の使徒
徐京植が批判する頽落した日本リベラル派とはこのようなものだろう。和田春樹と、その他の論者を一緒くたにするつもりはないが、「日本リベラル派の頽落」ということで線を引けば、15人の使徒もここに含まれるだろう。私なりの表現をすれば、「植民地主義を自覚できない、善意のつもりの植民地主義者」ということになるが。

Tuesday, January 02, 2018

希いをこめた批判の声に

徐京植『日本リベラル派の頽落 徐京植評論集Ⅲ』(高文研、2017年)
<昭和天皇の死去(1989年)に際して、戦争責任・植民地支配責任と向き合う最大の好機を逃した日本社会はいま、1990年代後半の右派によるバックラッシュ、「911同時多発テロ」「福島原発事故」を経て長い反動期に入っている。
今回の衆院選でも「排除」=「リベラル潰し」の高波が打ち寄せた。
「戦後民主主義」を担ってきたリベラル派の溶解を目の当たりにしてきた著者30年に渡る思索の軌跡を綴る。>
Ⅰ 国民主義批判
他者認識の欠落─―安保法制をめぐる動きに触れて
憲法九条、その先へ──「朝鮮病」患者の独白
梟蛇鬼怪といえども…… ──辺見庸『決定版 1★9★3★7』への応答
あいまいな日本と私
ヨーロッパ的普遍主義と日本的普遍主義
日本知識人の覚醒を促す──和田春樹先生への手紙
国家・故郷・家族・個人──「パトリオティズム」を考える
のちの時代の人々に─―再び在日朝鮮人の進む道について
Ⅱ 植民地主義的心性
第四の好機──「昭和」の終わりと朝鮮
もはや黙っているべきではない
  ――なぜ私は、「憂慮する在日朝鮮人 アピール」への賛同を呼びかけるのか
母を辱めるな
「日本人としての責任」をめぐって──半難民の位置から
「日本人としての責任」再考──考え抜かれた意図的怠慢
あなたはどの場所に座っているのか?──花崎皋平氏への抗弁
秤にかけてはならない──朝鮮人と日本人へのメッセージ
『植民地主義の暴力』(2010年)、『詩の力――「東アジア」近代史の中で』(2014年)に続く第3評論集である。著者は、現代日本の政治・社会・文化を貫く植民地主義を批判的に検討してきたが、批判の矛先は、反動的な歴史修正主義だけではなく、日本リベラル派にも向けられる。戦後改革と日本国憲法における平和主義と民主主義にもかかわらず、70年の歳月を振り返るならば、かつての侵略戦争と植民地支配への反省はほとんど忘却され、異様なまでに自己中心的な日本礼賛、愛国主義、排外主義、ヘイト・スピーチが蔓延する現実を相手にせざるを得ない脱力的な状況が続く。日本列島にも朝鮮半島にも、植民地主義の残滓にとどまらず、むしろその戯画的な再生産が続く。半世紀に及ぼうという著者の反知性主義との闘いは、ますます「孤立」を余儀なくされている。その最大にして最悪の根源は日本植民地主義そのものであるが、本書が取り上げるのは、むしろ「日本リベラル派」である。
日本軍「慰安婦」問題をはじめとする歴史的課題に正面から向き合うことを回避し、小手先のごまかしを繰り返し、つねに事態を先送りしてきた日本リベラル派は、1990年代からの四半世紀、変質と後退を常態としてきた。その典型例が、アジア女性基金から日韓「合意」に至る破廉恥な遊泳術である。和田春樹という「知性」がはまり込んだ闇の深さは、思想や論理で把握し得る範疇にはないと言わざるを得ない。上野千鶴子、加藤典洋、花崎皋平という「知性」があっけなくも無残に崩れ去った現実を前に、著者は、それでも日本社会の応答を希いながら言葉を紡ぐ。
本書の記述のほとんどすべてに納得する私だが、著者の批判は私自身に向けられている。十分な応答をしてきたとは言い難いからだ。それ以上に、そもそも植民地主義者でありたくない私には、日本植民地主義との闘いが主要な思想的課題であり続けているからだ。
前田朗編『「慰安婦」問題の現在』(三一書房、2016年)には、著者に「日本知識人の覚醒を促す──和田春樹先生への手紙」を寄稿してもらった。
著者は、民衆思想を代表する花崎皋平に「あなたはどの場所に座っているのか?」と問う。私自身、尊敬すべき花崎の民衆思想の限界を指摘してきたが、乗り越えることができたわけではない。
2018年、著者の問いに少しでも応答できるようにしたいものだ。とりあえず、その第1弾としてのヘイト・クライム批判をまもなく共編著として出版することができる。