Wednesday, January 03, 2018

「慰安婦」問題と未来への責任とは

中野敏男・板垣竜太・金昌禄・岡本有佳・金富子 編『「慰安婦」問題と未来への責任――日韓「合意」に抗して』(大月書店、2017年)
序章       日本軍「慰安婦」問題でなお問われていること――「終わらせる合意」に抗して(中野敏男)      
第Ⅰ部    「慰安婦」問題は終わらない――「解決」を問い直す
第1章    「慰安婦」問題の解決をめぐって――加害責任を問うことの意義(板垣竜太)   
第2章    日韓「合意」の何が問題なのか(吉見義明)             
第3章    「法的責任」の視点から見た二〇一五年「合意」(金昌禄)    
第4章    日韓のメディア比較――「合意」をめぐって何を伝え、何を伝えなかったのか(岡本有佳)          
第5章    国連人権機関による日韓「合意」の評価―女性差別撤廃委員会を中心に(渡辺美奈)      
コラム    「和解」という暴力――トランスパシフィック・クリティークの視点から(米山リサ)   
第Ⅱ部    強まる「加害」の無化――新たな歴史修正主義に抗する
第6章    破綻しつつも、なお生き延びる「日本軍無実論」(永井和)    
第7章    『帝国の慰安婦』と消去される加害責任――日本の知識人・メディアの言説構造を中心に(金富子)          
第8章    フェミニズムが歴史修正主義に加担しないために――「慰安婦」被害証言とどう向き合うか(小野沢あかね)             
コラム    声を上げた現代日本の被害者たち。その声に向き合うために(北原みのり)      
第9章    アメリカで強まる保守系在米日系人・日本政府による歴史修正主義(小山エミ)
コラム    安倍政権と「慰安婦」問題――「想い出させない」力に抗して(テッサ・モーリス=スズキ)       
第Ⅲ部    未来への責任――正義への終わりなき闘い
第10章 「慰安婦」問題を未来に引き継ぐ――女性国際戦犯法廷が提起したもの(池田恵理子)               
第11章 未来志向的責任の継承としての日本軍「慰安婦」問題解決運動(李娜榮)      
第12章 戦争犯罪への国家の謝罪とは何か――ドイツの歴史を心に刻む文化(梶村太一郎)      
コラム    マウマウ訴訟と「舞い込んだ文書群」(永原陽子)    
第13章 サバイバーの闘いをどう受け継ぐのか(梁澄子)   
「慰安婦」問題解決運動関連年表
証言集・テレビ/ラジオ番組・映像記録一覧
日韓「合意」の2年目に韓国政府による検証が公表された。被害者の意向を無視して拙速に「合意」がなされたこと、加害者の日本が被害国側に「義務」を押し付ける偏頗な「合意」であったこと、当時は公表されなかった「裏合意」があったことが明らかにされた。国際法に反した内容であり、被害者中心アプローチは無視され、とうてい維持できない代物だが、韓国政府が「合意」してしまった事実は変えられない。朴槿恵政権の野放図な無責任が重くのしかかる。
「日韓「合意」に抗して」との副題の本書は、検証公表以前に出版されたが、「被害者の声を受けとめる」ことと「未来への責任」を正面から問うことを課題にしているので、その射程が広く、検証公表の機に適った必読の書である。全13章、4本のコラムのいずれも読みごたえがあるが、一つひとつ紹介する余裕はない。
「序章    日本軍「慰安婦」問題でなお問われていること――「終わらせる合意」に抗して」において、中野敏男は、被害者も加害者も消去してしまうトリッキーな「日韓」合意の異様な限界を指摘し、沈黙を破って戦い続けた被害者の主体形成の過程に着目する。被害者も加害者も消去する手法は、アジア女性基金、NHK番組改ざん、日韓「合意」、朴裕河『帝国の慰安婦』を貫く<歴史修正主義>である。「慰安婦」問題は終わらない。それゆえ、私たちは「未来への責任」を引き受けることから歩きなおさなければならない。
中野が差し出し、引き受ける課題は、四半世紀を超えた「慰安婦」問題解決を求める運動がつねに向き合ってきたにもかかわらず、つねに権力的に妨害されてきた課題でもある。他者の奴隷化と戦時性暴力の歴史を終わらせる世界史的課題と直接リンクする課題の困難さを改めて痛感しながら、私たちは知性と感性を総動員して自らの立ち位置を再確認していく必要がある。
激しく揺れ動く現代史を見据えながら、<私たちは何者でありたいのか>を問うこと――それは一つの問いではなく、無数の問いにより迷路のごとく組み立てられている。
だが、私たちは迷路を素早く通り抜けてはならない。本書は数々の論点に多面的多角的に照射することで、迷路の片隅までたどり、反芻し、時に悩み、時に身を震わせながら、たしかな連帯と希望の歩みを提示する。
本書の編者たちは、2016年3月28日に東京大学で開催された研究集会の主催関係者である。そこには、朴裕河支持派50名と批判派50名の研究者が参加して、討論した。本書の編者たちはその記録の出版を提案したが、消極論者によって拒否された。ところが、朴裕河支持派にして出版消極論者は、その後、突如として、浅野豊美・小倉紀蔵・西成彦編著『対話のために――「帝国の慰安婦」という問いをひらく』(クレイン)を出版した。「対話のために」というタイトルにもかかわらず、反対論者を侮辱することだけを目的とした言葉が山積みになっており、「対話拒否のために」出版されたとしか考えられない。同書について下記参照。
預言者イエス=朴裕河と15人の使徒
徐京植が批判する頽落した日本リベラル派とはこのようなものだろう。和田春樹と、その他の論者を一緒くたにするつもりはないが、「日本リベラル派の頽落」ということで線を引けば、15人の使徒もここに含まれるだろう。私なりの表現をすれば、「植民地主義を自覚できない、善意のつもりの植民地主義者」ということになるが。