Thursday, January 04, 2018

映画『否定と肯定』を観た

映画『否定と肯定』(監督:ミック・ジャクソン、2016年)を観た。
原題はDenialで、「否定(否認)」であり、歴史修正主義の意味だ。フランスやドイツなら犯罪に当たる言説が、イギリスでは犯罪ではなく、それどころか原告として堂々と法廷に登場する。「否定と肯定」と単純に並べると、本来の意味が見失われる恐れがある。「事実と否定」とした方が正しい。実際に映画を観れば誤解はなくなるが。
本作は、原告のホロコースト否定論者アーヴィングが、歴史学者リップシュタットを名誉毀損で訴えた実話を基にした映画だ。
ちょうど当時、日本でも「アウシュヴィツの嘘」をめぐる議論が起きていたので、細々ながら報道されていた。国際法におけるホロコースト否定論や名誉毀損に関する法律書にも登場する有名裁判だ。ツンデル裁判やフォリソン裁判と並ぶいわくつきの裁判でもある。結末は知っていたが、裁判経過の詳細は知らなかった。
おもしろかったのは、イギリスの裁判の特徴を踏まえている点だ。バリスターとソリシターの区別は、日本とは異なる。名誉毀損裁判における立証責任のあり方も異なる。このことがリップシュタットを苦境に追い込む。被告に立証責任が負わされる。アウシュヴィツを生き抜いたサバイバーを法廷に立たせると、アーヴィングによる侮辱の被害にさらすことになってしまう。被告リップシュタットが沈黙に耐えながら、弁護チームが法廷闘争に細心の注意を払う。その醍醐味が見せ所だ。
日本で言えば、「慰安婦の嘘」や「南京大虐殺の嘘」に相当するが、日本の裁判所では真逆の結末が引き出される。事実と法理に基づいた裁判が行われないからだ。
韓国では、朴裕河の『帝国の慰安婦』をめぐる民事裁判と刑事裁判が知られる。違いは、
歴史的犯罪の被害者本人が原告となり、刑事告訴をした点だ。一部の論者は被害を否定して、問題を表現の自由や学問の自由にすり替える。しかし、名誉毀損をする表現の自由や、学問の特権を主張しているに過ぎない。ごまかしに惑わされずに、事実と法理に基づいて法律要件のあてはめをすればおのずと結論が出てくる。現に刑事裁判控訴審は名誉毀損の有罪を導き出した。映画『否定と肯定』とは異なる文脈で、異なる論点である。ここを取り違える議論が見られるが不適切である。