Friday, April 02, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(168)条例の憲法論

藤井正希「ヘイトスピーチ規制条例の憲法的研究」『群馬大学社会情報学部研究論集』第28巻(2021年)

1.はじめに――本稿の目的と構成

2.ヘイトスピーチの悪質性と規制の必要性

3.ヘイトスピーチ規制の困難性

4.ヘイトスピーチ解消法

5.地方自治体のヘイトスピーチ規制条例

5.1 大阪市条例

5.2 川崎市条例

5.3 東京都条例

5.4 大阪府条例

5.5 その他の条例

5.5.1 東京都世田谷区

5.5.2 東京都国立市

5.5.3 兵庫県神戸市

5.5.4 香川県観音寺市

5.6 各条例を概観して

6.ヘイトスピーチ規制条例についての判例研究

6.1 事案と争点

6.2 判旨

6.3 考察

7.試論――あるべきヘイトスピーチ規制条例をめざして

7.1 萎縮的効果の問題

7.2 判断権者の権限濫用の問題

藤井はこれまでもヘイト・スピーチについて刑事規制が可能な場合があると論じてきた。本論文では条例に焦点を当てている。

判例研究として、大阪市条例をめぐる大阪地裁判決2020117日を紹介し、検討している。この件での憲法学者の論文は初めてかもしれない。判決は、憲法21条、13条、31条などについて検討し、大阪市条例は合憲であるとした。表現の自由といえども無制限には保障されず、公共の福祉による合理的で必要やむをえない限度の制限を受けるという最高裁判決に従って、拡散防止措置があり、合理的であるとする。本件規定は漠然ではなく、判断を可能とするような基準が読み取れるとし、合憲とした。藤井は、「本件条例が表現の自由を侵害しないという最高裁の立場に立つのであれば、プライバシー権や人格権、罪刑法定主義や適正手続きの原則等を侵害していると結論づけるのはかなり困難といえる」とし、「表現の自由に対する制限として容認されるか」が最大の論点だという。

藤井は「試論」の部分で、「日本において現時点でもっとも問題となっているのは、いわゆる在日韓国朝鮮人に対する公道等でのデモや街宣という形態でのヘイトスピーチとインターネット上でのヘイトスピーチであるから、少なくとも処罰の対象とするヘイトスピーチはその限度に限るべきである」という。

①対象を在日韓国朝鮮人に限定し、②手段は川崎市条例を参考に、「道路、公園、広場等の公共の場所において、拡声機、看板・プラカード、ビラ・パンフレット等を使用すること」とし、③処罰対象行為としての「不当な差別的言動」をヘイトスピーチ解消法の法務省による例示3類型を参考に絞り込み、④規制手段は、大阪市条例の氏名公表や川崎市条例の罰則を積極的に検討していくべきとする。

また、藤井は「表現の自由の保障のもとにおいても、根拠が示されない(示すことができない)表現の要保護性は低いと言わざるをえず、規制もやむをえないであろう。ある表現をヘイトスピーチと認定する場合には、表現者にその言論の根拠を説明する機会を十分に与えることが重要である。また、ヘイトスピーチとして特定の形態での表現(例えば、デモや街宣、ホームページ作成)を禁止する場合には、そのかわりに別の形態での表現ルートを保障することを配慮すべきである。例えば、市がある団体のデモ行進を禁止するならば、その団体の主張の要旨を市の広報誌に掲載する機会を与え、そして、それに対する市民の反論も適宜、掲載していく等、行政が積極的に市民の“自由な公開討論の場”を保障していくのである。」と結論付ける。

いくつかコメントしておこう。

1に、地方自治体のヘイトスピーチ規制条例に着目して、これを整理し、検討する憲法学的研究は重要である。私も『ヘイト・スピーチと地方自治体』(三一書房、2019年)で同じ作業を試みた。

2に、大阪地裁判決を私は検討してこなかったので、藤井論文が参考になった。知っていたのに、言及してこなかったのは私の怠慢。

3に、藤井の試論は基本的に賛同できる。

ただし、疑問がないわけではない。上記最後の引用部分だが、「市がある団体のデモ行進を禁止するならば、その団体の主張の要旨を市の広報誌に掲載する機会を与え」ることは、人種差別撤廃条約第2条1項(a)(b)(d)に照らして、疑問である。私の言葉では「地方自治体がヘイト・スピーチの共犯になる」のではないか。人種差別撤廃委員会は、ヘイト・スピーチを非難するよう求めている。

4に、藤井は註(4)で次のように書いている。

「憲法学者はヘイトスピーチに対して、刑事規制ではなく、教育が大事、対抗言論が重要、民事訴訟が有効と安直に代替論を唱えるが、およそ具体性がなく、いかなる教育によってどのようにヘイトを克服するのか具体的に提言した憲法学者はいないという厳しい批判がある[前田201827]。」

私の主張を正確に紹介している。藤井自身の見解は明示されていないが、私の指摘を受け止める姿勢を示している。この10年ずっと同じことを主張してきたが、この主張をきちんと引用してくれた憲法学者は藤井が初めてだ。ありがたい。

5に、藤井は註(19)後半で次のように書いている。

「ただし、特に思想の自由市場論には、一度も検証されたことのない仮設であり、単なる比喩的表現にすぎないとの激しい批判がある[前田2019232237]。また、『表現の自由を守るためにヘイトスピーチを規制しない』という論理は思考が転倒しており、『表現の自由を守るためにヘイトスピーチを処罰する』と考えるべきであるという主張もある[前田2014159160]。」

ここでも私の主張を手短に紹介している。特に後段の「表現の自由を守るためにヘイトスピーチを処罰する」というのは私が一貫して唱えてきた基本命題である。講演会では講演タイトルを「表現の自由を守るためにヘイトスピーチを処罰する」としてきた。しかし、多くの憲法学者から無視されてきた。私の主張をきちんと紹介せずに、私が言っていないことを捏造して無意味な批判をする憲法学者がいるが、藤井は私の見解を正しく紹介している。これもありがたい。