アメリカやヨーロッパにおけるアジア系住民に対するヘイト・クライムが話題になっている。
アメリカにおけるヘイト・クライム/スピーチの被害者は、アフリカ系(黒人)、ラテンアメリカ系、ネイティヴ・アメリカン、イスラム/アラブ系など多様だが、アジア系住民も古くから差別被害を受けてきた。アジア系とは中国系、日本系、コリアン系が中心だったが、東南アジアや太平洋諸島出身者も含まれ、一様ではない。
アジア系住民に対するヘイトについては、かつてカリフォルニア・ルーテル大学准教授のヘレン・アン・リンの論文「直接被害者を越えて――ヘイト・クライムをメッセージ犯罪として理解する」を紹介したことがある。
Helen Ahn Lim, Beyond the Immediate Victim:
Understanding Hate Crimes as Message Crimes, in: Paul Iganski (Ed.), Hate Crimes, Vol.2, The Consequences of Hate Crime, Praeger
Publishers,2009.
Helen Ahn Lim, Race, Bigotry, and Hate Crime:
Asian Americans and theConstruction of Difference. in: Barbara Perry(ed.), Hate
Crimes, Vol.3 ,The Victims of Hate Crime, Praeger Perspective, 2009.も紹介した。
前田朗『ヘイト・スピーチ法研究序説』第4章第2節に収録した。
https://31shobo.com/2014/12/150005/
リンによると、アジア系アメリカ人は「モデル・マイノリティ」とも特徴づけられ、一部ではもはやヘイト・クライムの被害を受けることはないかのように言われているが、事実ではない。アジア系に対するヘイト・クライムは実際に起きているのに、報告されていないという。今回はそれが表面化したと言うことだろう。
リンはメッセージ犯罪と防衛的ヘイト・クライムというタームを使っている。重要な概念だと思う。
第4章の目次は次のとおりである。
************************************
*
Ⅱ部 ヘイト・クライムとヘイト・スピーチ
第4章 被害者・被害研究のために
第1節 問題関心
第2節 ヘイト・クライムの被害者
一 被害者研究のために
二 ネイティヴ・アメリカン――ペリー論文
三 黒人被害者化――ターピン-ペトロシノ論文
四 反ラティーノ感情――イトゥアト論文
五 アジア系アメリカ人――リン論文
六 イスラモフォビア(イスラム嫌悪)――ポインティング論文
*************************************
このうち、ヘレン・アン・リンの論文の紹介部分の要約短縮版を下記に貼り付ける。
*************************************
四 メッセージ犯罪としてのヘイト・クライム――リン論文
1 アジア系アメリカ人の経験
ヘイト・クライム/スピーチでは、犯行者にとってはその特定人物が重要とは限らず、被害者は標的とされたコミュニティの一員であったから被害を受けたのであり、その限りでは別の被害者であっても良かった。被害者は個人としてではなく象徴として攻撃されている。被害者はコミュニティの残りのメンバーに対するメッセージを送るために攻撃されたのである。
リンによると、ヘイト・クライムはランダムな事件として生じるが、被害者はランダムな理由で狙われるのではない。アジア系アメリカ人は白人でないがゆえに人種主義的被害に遭遇する。「いつまで経っても外国人」イメージが存在する。アジア系住民の家族はどんなに長くアメリカに在住していても、外国人と見なされる。「いつまでたっても外国人」に対する人種差別が生じる。無意識のうちに選別がなされ、アジア系住民からアメリカ人としてのアイデンティティを奪う。
合州国憲法はすべての者に権利を保障しているが、実際にはアジア系住民は外国人として扱われる。アジア系住民が増えるに連れて反動が大きくなってきた。一九八〇~九〇年代には一・五%から二・九%であったが、二〇〇〇年には四・二%になっている。マイノリティが増えれば彼らに対する攻撃が増えるのはともかくとして、重要なのは増加の速度と人種的文脈である。全体で見るとアジア系住民の数は少ないが、一定の地理的範囲に居住しているため、アジア系住民の集住地域では「いつまで経っても外国人」意識によって反アジア系感情が醸成される。
2 メッセージ犯罪とは何か
ヘイト・クライム/ヘイト・スピーチは、被害者及びそのコミュニティを脅迫するためのメッセージ犯罪である。ある集団に属しているが故に被害者に向けられる象徴的犯罪である。ヘイト・クライムが処罰されるべきなのは、単に身体的行為を超えて心理的感情的影響を有するからである。刑罰がより重くなるべきなのは、人種的不寛容の歴史に基づいて、被害者が特に傷つきやすく、身体的被害をずっと超えた被害を受けているからである。例えば、アフリカ系アメリカ人の芝生で十字架を燃やす行為は、歴史的文脈から言って、エスカレートした暴力による明白な脅迫であって、単なる放火ではない。ファンによると、ヘイト・クライム/ヘイト・スピーチは象徴的犯罪なので、直接被害者が犯罪に込められた人種的憎悪を理解したかどうかは必ずしも重要ではない。ナチスドイツのカギ十字を落書きされた商店主がたまたまその意味を理解していなかったとしても、ヘイト・クライム/ヘイト・スピーチである。
アメリカ公民権委員会によると、ハラスメントは「移動暴力」という共通の形態をとる。近所で、特に中産階級のアジア系アメリカ人が居住する郊外住宅地で発生することが多い。卵を投げる、石で窓を割る、銃で窓を割る、火炎瓶を投げるなどである。レヴィンとマクデヴィッドはこれを「防衛的ヘイト・クライム」と呼んでいる。白人が多く住む地域に引っ越してきた黒人家族、アジア系の友人とデートした白人女学生、最近職にありついたラテン系の人が狙われる。防衛的ヘイト・クライムは「出て行け。お前たちは歓迎されていない」というメッセージを送るためになされる。
アジア法律コーカスの弁護士ヴィクトール・ファンはヘイト・クライム被害者は個人としてではなく、象徴として標的にされると言う。「奴らから個人人格を剥ぎ取り、人種を消してしまえ」というメッセージを送るために狙われる。アジア太平洋系アメリカ人に繰り返し送られてきたメッセージは「お前は外国人だ。ここに居場所はない。お前はアメリカ人ではない」というものである。
3 ヘイト・クライムの集団的影響
ヘイト・クライムがメッセージ犯罪であるということは、次のようにまとめられる。第一に、被害者は、個人としてではなく象徴として狙われる。人種的マイノリティは白人ではないという差異に基づいて攻撃される。第二に、それゆえ被害者には互換性がある。被害者はランダムに選ばれ、無差別に狙われる。潜在的被害者は自分が狙われる原因となる特徴を変えることができない。第三に、被害者は狙われたコミュニティの残りの者に対してメッセージを送るために攻撃される。アジア系アメリカ人にとっては「いつまで経っても外国人」というメッセージである。