Thursday, April 08, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(170)大阪市条例

久禮義一「ヘイトスピーチに関する一考察:大阪市条例を中心に」『人権を考える』第20号(関西外国語大学、2017年)

一 はじめに

二 ヘイトスピーチ

1 実態

2 被害

三 大阪市ヘイトスピーチへの対処に関する条例

1 制定の背景

2 制定経過

3 概要

4 評価

5 課題

四 ヘイトスピーチ防止に向けて

1 現行制度の課題

2 ヘイトスピーチ防止対策

 a 公共施設使用について

 bヘイトデモ、街宣活動について

五 結びにかえて

久禮は冒頭に二つの注目すべき記述をしている。

一つは「在日コリアンに対するヘイト・スピーチは戦後も日常的に行われてきたが、2000年代半ばから・・・」という記述である。多くの論者が、「200709年ころからヘイト・スピーチが起きるようになった」と主張して、過去のヘイト・スピーチを隠ぺいしてきた。久禮は「戦後も日常的に行われてきた」と的確に認識している。もう一つは「筆者はヘイト・スピーチのスピーチは『言論』でなく『暴論』『暴力』であるという見解」という記述である。

それゆえ、久禮はヘイト・スピーチの被害を確認している。多くの論者がヘイト・スピーチの被害に言及しない。あるいは、「被害はない」と言い切る。久禮は被害の大きさを理解している。

久禮は大阪市条例が初めてヘイト・スピーチを定義したこと、氏名公表という措置を定めたことを高く評価しつつ、再発防止に役立たない可能性があること、公共施設利用制限がないこと、氏名公表を歓迎する確信犯には効果がないこと、被差別部落出身者やアイヌ民族が対象外であることなどの限界を指摘している。

久禮は大阪市条例やヘイト・スピーチ解消法では一定の効果はあるものの、仮処分を無視して街宣が行われた例もあり、「裁判で勝訴を得ても…一回限りに限られる」ため不十分であると見る。公共施設利用について、東京弁護士会意見書や人種差別撤廃条約を参照して使用制限を肯定的に見ている。

他方、ヘイトデモについて、「このデモは単なる政治上の意見の表現ではなくヘイト・スピーチを行い他人の人権を侵害することは明らかであり、その被害を受ける人の立場に立った場合このデモ申請は許可されるべきではない。/ヘイトデモ差別街宣は『表現』などではない。それはこの社会でマイノリティが『幸福を追求する権利』を否定し、民主主義の基盤である『法の下の平等』それ自体を破滅する暴力に他ならない」という。

久禮の結論は、

「表現の自由とは、個人が表現・言論活動を通じて人格を発展させ、互いに意見を交わすことにより、よりよい民主社会を築くためにある。在日外国人らに聞くに堪えない罵声を浴びせ、その存在を根底から否定するような行為は、憲法が目指す所の対極にある。/始めから他人に苦痛を与えることがわかっていながら発言する人に日本国憲法が認める『言論の自由』が適用されない。」

久禮がが主に引用するのは中村一成、師岡康子、金尚均、前田朗である。

久禮は政治学者で、日本における差別の歴史に通じており、ヘイト・スピーチについても差別の歴史の中に位置づけてみている。ヘイト・デモにおける差別の煽動を、「表現」に着目し切り離して論じるのではなく、差別行為がもたらす被害を認識している。それゆえ、ヘイト・スピーチの「暴力性」を的確に把握している。民主主義に言及している点は、ヘイトは民主主義を破壊するから、民主主義擁護のためにヘイトを規制する必要があるという金尚均及び私と同じ立場と言って良い。