稲角光恵「旧ユーゴスラビア紛争に関するICJジェノサイド条約適用事件から考えるミャンマーのジェノサイド疑惑を審理する上での課題」金沢法学62巻2号(2020年)
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1 ミャンマーのジェノサイド疑惑について国際責任を追及する動向
2 旧ユーゴスラビア地域のジェノサイド罪容疑に関する国際的な司法判断
3 先例から考えるICJでミャンマーのジェノサイド疑惑を審理する場合の課題
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2017年に70万と言われる難民を出したミャンマーのロヒンギャ迫害について、国連人権理事会の調査報告書はジェノサイドと人道に対する罪が起きた都市、ガンビアはICJ国際司法裁判所にジェノサイド認定を求めてICJに提訴した。人権NGOやジャーナリストもジェノサイドと人道に対する罪の発生を訴えている。
稲角は、旧ユーゴスラビアの民族浄化等についてのジェノサイド事件で、ICJがジェノサイドの認定をしなかった判例を分析する。ICJは、旧ユーゴスラビア国際刑事法廷ICTYの判決と裁判資料に依拠して判断した。ICTYは個人の刑事責任を認定する事案を処理したので、立証の水準が高い。特にジェノサイドについては通常の故意とはことなる「ジェノサイドの特別の意図」が必要である。国家責任を認定する事案で個人の刑事責任と同じ法理を適用したことになる。
同じ考え方をミャンマー事件に適用した場合、ロヒンギャに対するジェノサイドが行われたこと、特にその特別の意図があったことを立証しなければならずハードルが高い。管轄権や立証責任などいくつもの法的ハードルがあるため、ICJがミャンマー事件にジェノサイドの成立を認定するのは難しいのではないか、と推測できるという。
ICTYでもICCでも、検察官はジェノサイドの特別の意図の立証に制約のある場合、ジェノサイドで起訴するのではなく、人道に対する罪で起訴してきた。ジェノサイドで無罪判決が出た場合の影響の大きさを考えると、人道に対する罪での起訴もやむを得ないといえるだろう。
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国連人権理事会でのミャンマー事件報告書はその都度見ていたが、ガンビアのICJ提訴について私は見ていなかった。また、ジェノサイドの有罪判決については、ルワンダ・ジェノサイドについてのルワンダ国際刑事法廷ICTRの有罪判決が先行したので、私はそちらを追いかけてきた。ICTRとICCは見ていたが、ICTYのジェノサイド判決を自分で読んでいなかった。稲角はICTY判決を参考にICJの動向予測をしているので、私の知らない部分であり参考になった。
個人の刑事責任を認定する文脈と、国家責任を解明する文脈とでは、ジェノサイドの成立要件が異なることもありうると私は思うが、ICJはICTYと同じレベルで考えたという。ただ、稲角によると、ドイツで裁かれたヨルジッチ事件でドイツの裁判所は民族浄化にジェノサイドの成立を認めたが、これについて欧州人権裁判所もドイツ裁判所と同じ広い定義を肯定したという。欧州人権裁判所は、ICJやICTYとは異なる法解釈を展開したという。この意味では国際司法におけるジェノサイドの解釈にはまだまだ変動の可能性がある。
なお、今年の軍部クーデターによって情勢が大きく変わったので、今後の予測はつきにくい。