林博史『帝国主義国の軍隊と性――売春規制と軍用性的施設』(吉川弘文館、2021年)
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第六章「欧米諸国、インド、英植民地」
第七章「第一次世界大戦後の展開」
終章「今日まで続く課題」
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第六章「欧米諸国、インド、英植民地」では、19世紀から20世紀への世紀転換期の変化を見ていく。イギリスにとどまらず、欧米諸国の対応の分岐を明らかにし、インド省・政庁と廃止運動、民族運動などにも言及する。さらに各地の英植民地の状況や第一次世界大戦の経験も検討する。イギリス植民地省の政策、香港、シンガポール、海峡植民地、南アフリカなど各地の動向が提示される。まさに世界的な軍隊と性の問題圏が見えてくる。
第七章「第一次世界大戦後の展開」では、両大戦間期におけるイギリス植民地の規制廃止、ジブラルタルの売春規制、その規制廃止、第一次大戦後のインドの変化、さらに国際連盟の女性と子どもの人身売買の取り組み、日本政府の対応が明らかにされる。続いて、第二次世界大戦時のインド、イギリスに駐留する米軍、北アフリカからイタリアのイギリス軍の状況が検討される。
さらに、「フランス軍野戦軍用売春宿と韓国の基地村」として、フランス(インドシナやアルジェリアを含む)及び韓国の状況が紹介される。
終章「今日まで続く課題」では、第1に「軍用性的施設の展開と消滅」がまとめられる。前提として近代の国家売春規制制度の変容があり、欧州における規制主義の消長がある。林は「帝国主義/植民地主義、家父長制/女性差別、さらに『売春婦』と見なす女性たちを男性の性的欲求解消の道具として非人間化する思想」があったとし、これに対して廃止運動が始まった経緯を再確認する。規制主義と廃止運動の対抗は単純ではなく紆余曲折を辿るが、第一次大戦と第二次大戦を経て、規制制度が廃止され、軍用性的施設が消えていくが、フランスと韓国では継続する。こうした歴史的変遷の中に日本軍「慰安婦」問題を位置づける必要がある。
第2に、林は「今日の問題としての戦時性暴力・性的搾取」と題して、問題意識を再提示し、次の研究課題を明確にする。1990年代の旧ユーゴやルワンダにおける武力紛争と性暴力は、世界各地で悲劇を生み出し続けている。国連平和維持活動においても同様の事態が生じた。ベトナム戦争における米軍、カンボジア平和維持部隊、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、ソマリアの状況が想起される。林は2000年の国連安保理決議1325、「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」の歴史的意義を確認し、これに対する反動の激しさにも注意を喚起する。林は次のように述べる。
「19世紀にジョセフィン・バトラーが人々に呼びかけた魂の言葉の一つ一つが、日本軍『慰安婦』問題をはじめとする軍の性暴力、性的搾取の問題から目を背けている今日の日本人への厳しい問いかけである。」
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日本軍「慰安婦」問題が内外で激しく議論されるようになったのは1990年代初頭であった。金学順さんのカムアウト、戦後補償裁判の提訴、日本各地における市民運動の立ち上がり、国連人権委員会での議論が始まった。この30年の歴史を振り返ると、「慰安婦」問題の責任解明を目指す動きに対して、歴史の事実を否定し、責任逃れを図る勢力の強大化が著しく、日本では事実も責任も消し去られようとしている。
林はこの30年、問題に向き合い、歴史研究者として歴史の事実を解明し、記録を残し、資料を探索し、分析し、反帝国主義と反差別の思想を紡いできた。その到達点として、ここでは世界的視野で問題を位置づけなおす意欲的な挑戦が実践されている。持続的な志と、研究者としての責任の自覚が揺らぐことなく、全巻を貫いている。