廣瀬陽一『中野重治と朝鮮問題――連帯の神話を超えて』(青弓社、2021年)
https://www.seikyusha.co.jp/bd/isbn/9784787292643/
<戦前にはプロレタリア文学運動に身を投じ、共産党員や政治家としても活躍した作家・中野重治。中野の著作は、天皇制との闘争や転向など、共産主義運動との関連で批評されてきたが、中野が敗戦後から晩年まで取り組んだ朝鮮問題の実態や全体像は語られてこなかった。
中野が書いた戦後のテクストにおける朝鮮や在日朝鮮人の言説を丹念に読み込み、安保闘争や浅間山荘事件、東西冷戦などの社会的な事件・状況を踏まえながら、彼の朝鮮認識の変容と実像を明らかにする。
植民地主義やナショナリズム、転向、親日/反日、民族的連帯など、朝鮮や在日朝鮮人をめぐる諸問題に誠実に向き合い、それまでにない連帯のありようを模索した中野の思想的・政治的な実践が示す可能性を浮かび上がらせる。>
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序 章 〈中野重治と朝鮮問題〉研究史と本書の視座
第1章 「被圧迫民族の文学」概念の形成と展開――日米安全保障条約と日韓議定書
第2章 植民地支配の「恩恵」、在日朝鮮人への〈甘え〉
第3章 「朝鮮人の転向」という死角
第4章 反安保闘争と「虎の鉄幹」のナショナリズム
第5章 「科学的社会主義」と少数民族の生存権
第6章 「被圧迫民族」としての日本人へ
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廣瀬は1974年生まれ。日本学術振興会特別研究員。専攻は日本近代文学、在日朝鮮人文学。著書に『金達寿とその時代――文学・古代史・国家』『日本のなかの朝鮮 金達寿伝』(ともにクレイン)、編著書に『金達寿小説集』(講談社)など。
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<中野重治と朝鮮問題>という視角が設定されているが、もちろん、これは<中野重治と日本問題>のことだ。朝鮮を植民地支配しながら、朝鮮民族を差別しながら、日本優位の位置を確保しながら、朝鮮との連帯を唱え、あたかも自らが「被圧迫民族」であるかのごとく装ってきた日本と日本人の根深いレイシズムを、中野はある時期、気づいて問題視しはじめた。だが、中野の慧眼は日本ではなかなか理解されなかった。このことに廣瀬は改めて焦点を当て、中野がどこからたどり着き、どこへ向かっていたのかを徹底的に掘り起こす。どの章を紐解いても、この問いを繰り返し、積み重ね、深めるための思索が続く。
中野と言えば、「雨の降る品川駅」があまりにも有名だ。しかも、発表時の伏字問題もあれば、第二次大戦後の「修正」もあれば、中野自身の自己批判もあり、かなり複雑な議論が行われてきた。中野の植民地認識、それゆえ日本帝国主義認識の変遷に関わり、革命運動、植民地解放闘争との関連での議論につながる。だが、「雨の降る品川駅」の「確定」をみないまま議論せざるを得なかった面がある。長い年月を経て、ようやく「雨の降る品川駅」の初出、韓国語訳など多様な情報が発掘され、歴史的な考察を踏まえた議論ができるようになってきた。廣瀬は「雨の降る品川駅」の「歴史」を丁寧に辿るとともに、理論的問題に参入する。1929年の「雨の降る品川駅」から、現在この詩が持つ意味まで、実に多様な議論が可能であるし、まだまだ議論し続けなければならないことが分かる。
とはいえ、廣瀬は「雨の降る品川駅」で中野を代表させることには強い疑問を提示する。中野個人史に即してみても、大きな変遷をたどっているし、その都度、短い文章に書かれたものであっても重要な文章をいくつも残している。中野の思考の変遷を、それぞれの時期に時代背景や論脈との関連で位置づけなおし、議論を深める必要がある。廣瀬はこの課題に敢然と挑む。第2章から第6章まで、中野が遺した思索をいくつかのテーマに即して、廣瀬は辿り直す。中野の変遷、中野研究の深化を踏まえつつ、廣瀬自身の考察も見事に弁証法的であり、説得的である。結論に賛同するか否かと言う前に、何よりも研究方法、論述方法が具体的かつ明晰であり、分析も手堅い。
文学史に疎い私にも、廣瀬の叙述を通じて中野の心的世界が徐々に見えてくる。中野作品を断片的にしか読んでいない私としては、いつか時間を作って、中野の主要作品をしっかり読もうと思わされる著作である。