Saturday, April 30, 2022

ヘイト・スピーチ研究文献(195)ヘイト規制の刑法論

楠本孝「ヘイトスピーチを刑事規制する川崎市条例について」『三重法経』第154号(三重短期大学法経学会、2021年)

(*WEKO - 三重短期大学リポジトリで入手可。)

はじめに

1 原理的消極論から技術的消極論へ

2 ヘイトスピーチ刑事規制の明確性と適正処罰の原則

3 構成要件化と『解釈指針』と段階的規制

Ⅱ ヘイトスピーチ規制法部分の構造

1 構成要件

2 告発要件

3 保護法益

Ⅲ 検討

1 ヘイトスピーチ解消法との関係

2 規制手段の厳密性

(1) 構成要件の明確性・非広汎性

(2) 段階的規制

(3) 小括

Ⅲ 課題――結びにかえて

がなく、2回出てくるのはミスで、「はじめに」がで、2回目のだろう。

金尚均や桜庭総とともに刑法学における議論をリードしてきた楠本のヘイト・スピーチ論については、私の『序説』『原論』『要綱』で何度も引用・紹介してきた。

本稿では、ヘイト・スピーチ解消法以後に新たに刑事罰を用意した川崎市条例を正面から検討している。「表現の自由」を根拠にヘイト・スピーチ刑事規制を否定する短絡的な「原理的消極論」はすでに時代遅れであることが明らかになり、最近では「技術的消極論」が目立つようになっている状況を確認した上で、明確性の原則や適正処罰の原則に照らして、技術的な要請を満たせばヘイト・スピーチ刑事規制が可能となっていることを明確にしている。

楠本は川崎市条例が掲げたヘイト・スピーチ規制の3類型に即して、それぞれ刑事規制の広汎性や明確性の原則に照らして検討する本格的な刑法論を提示している。つまり、これまでの判例法理と学説の水準に立って、条例12条のヘイト・スピーチの定義について検証する。

12条1号、2号の「煽動」と「告知」の当罰性について、食料緊急措置令違反事件判決や破壊活動防止法違反事件の判例法理を確認する。判例法理については憲法学からも刑法学からも批判があるが、楠本は「これを刑法論の次元に移すと、判例はせん動罪を抽象的危険犯と解し、学説は具体的危険犯と解しているということになる」と説明した上で、煽動によって「地域において平穏に生活する権利」が直接に脅かされ、対抗言論はほとんど意味をなさないので、「条例12条の保護法益の脆弱性と拡声器を用いるなどの行為態様の悪質性にかんがみて、条例121号及び2号所定の『煽動』は、実害が発生する具体的危険性の立証がなくても可罰性を肯定できる抽象的危険犯と解すべきである」という。

次に123号の侮辱類型の当罰性について、「集団に向けられた侮辱がその集団の個々の構成員にまで及ぶと言えるためには、まず、その集団に属する人々がその特定のメルクマールに基づいて公衆から明確に区別されることが必要である」ことと、保護法益の基準をクリアすることが必要であるとする。結論として、「『人以外のものにたとえるなどの著しい侮辱』が、公共の場所で、拡声器を用いるなど拡散力の強い方法で行われた場合には、当該集団の構成員の『地域で平穏に生活する権利』が具体的に危険にさらされたことの立証は必要でない」とされる。

楠本は可罰性だけでなく、規制手段の明確性についても検討した上で、「条例は、恣意的な運用となることを避けるために、イ 反復の内容の限定、ロ 第三者機関への諮問、ハ 『熟慮の機会』の保障、という三つの方策を取っている」とし、三つの方策を取ったことにより「真の事後的一段階的規制になっていると言える」と見る。

かくして楠本は次の結論に辿りつく。

「以上検討してきたことから、本邦外出身者の『地域において平穏に生活する権利』を保護するという正当な目的を達成するための手段として、これを侵害する行為のうち処罰の対象とする範囲が過度に広汎であるとも、不明確であるともいうことができず、かつ、濫用防止のために厳密な事後的一段階的規制が採用されていること、さらに、命令違反に対して科される刑事罰も、50万円以下の罰金と、表現行為に対する制裁としても決して過酷なものと言えないこと等を総合すると、川崎市条例のヘイトスピーチ規制は、ヘイトスピーチ規制の技術的消極論を克服する内容となっていると評することができよう。」

楠本論文は、川崎市条例によるヘイト・スピーチ刑事規制を、刑法学的に本格的に検討した論文であり、今後の議論の土台となる。私自身は、ここまでの刑法学的検討をしていなかったので、反省。

私がこうした検討を加えてこなかった一因は、もともと川崎市条例の3段階論に必ずしも賛同していなかったことがある。ヘイト・スピーチは1回目で犯罪である。川崎市条例は3回目で犯罪となるとしているので、2回目までは許されるというメッセージを発したことになる。この点を重視する必要はさほど高くなく、犯罪化する条例ができたことの意義が大きいにもかかわらず、私は逡巡していたようだ。

楠本は最後に「課題」を指摘している。

1つは、法人処罰の両罰規定で、楠本は両罰規定を廃止し、刑法の共犯規定で対処すべきと言う。

もう1つは、川崎市条例の実効性をいかに担保するかである。

「ヘイトスピーチは『社会的に非難されるべき行為』であることを公的機関が繰り返し明示することによって、徐々に人々の規範意識に働きかけて、将来における類似行為の再発を防止することにこそ、刑事罰を用いる意義がある。」

ヘイト・スピーチ論議で、「処罰ではなく教育を」とか「処罰ではなく対抗言論を」という無責任な議論が横行してきたことへの批判である。処罰も教育も対抗言論も重要であり、特に、社会的に影響力のある公的機関や公人のヘイト非難が不可欠である。