*最終回である。
*ガロディ事件、ル・ペン事件、ペリンチェク事件は知っていたが、大半の判決は全く知らなかった。欧州人権裁判所の研究者は日本にも何人もいて、欧州人権裁判所の判例についての本も出ているが、ヘイト・スピーチについてはあまり紹介されていないのではないだろうか。この10年間、ヘイト・スピーチを巡る議論が行われてきたのに、欧州人権裁判所の判決がきちんと紹介されてこなかったのはなぜだろう。
*以下の紹介における固有名詞の表記について、現地語の発音を調べていない。各国の法制や社会状況を調べていない。このため、事案の内容が正確にわからない場合がある。
「ファクトシート:ヘイト・スピーチ」は、「条約の保護の適用除外」「条約第10条(表現の自由)の保護に関する制限」「ヘイト・スピーチとインターネット」の3つのテーマに分けて、多くの判決を紹介する。
以下では最後の「ヘイト・スピーチとインターネット」の部分を紹介する。
デルフィ対エストニア事件(2015年6月16日、大法廷)
本件は、欧州人権裁判所がインターネット・ニュースポータルの利用者によるコメントに関する責任について、申立てを検討した初めての事件である。申立企業は商業のため二ニュースポータルを運営していた。フェリー会社についてのオンライン・ニュース記事の下に読者が書き込んだ攻撃的コメントについて、申立人は国内裁判所から刑事責任を問われた。フェリー会社の所有者の弁護士の要請により、申立人は書き込みから6週間後に攻撃的書き込みを除去していた。
欧州人権裁判は条約第10条(表現の自由)の侵害がなかったと判断した。欧州人権裁判所はインターネットの利便性、すなわち表現の自由のために前例のないプラットフォームを提供していることと、インターネットの危険性、すなわちヘイト・スピーチや暴力を煽動する言説が瞬時に世界中に拡散され、それが残り続けることの間の紛争の現実について初めて言及した。欧州人権裁判所はさらに、問題の書き込みの違法な性質は、書き込みの大半がフェリー会社の所有者に対する憎悪又は暴力を煽動するもので会たことに基づいていると判断した。それゆえ、条約第10条2項の下で、前になされた書き込みに利用者が書き込み、実名であれ匿名であれ利用者が明らかに違法な書き込みをした場合の、商業ベースのプラットフォームを提供する、インターネット・ニュースポータルの義務と責任に関する事案は、他人の人格権を侵害し、ヘイト・スピーチ及び他人に対する暴力への煽動にあたる。第三者の利用者の書き込みがヘイト・スピーチの形式であり、個人の身体の統合に対して直接脅威となる本件のような事案では、欧州人権裁判所は、他人の権利と利益及び社会全体の利益が、締約国に、インターネット・ニュースポータルに関する責任を課している。もし明らかに違法な書き込みを遅滞なく削除する措置を取らなければ、条約第10条に違反していなくても、被害者や第三者からの告知がない時でさえも、削除する措置を取らなければ責任が生じうる。この点での具体的な評価に基づいて、特に問題のコメントの極端な性質、商業ベースで運営された専門的ニュースポータルに申立会社が投稿した記事への反応として投稿された事実、ヘイト・スピーチ及び暴力を煽動する言説に当たるコメントが出たのち遅滞なく申立会社が削除措置を取らなかったこと、責任を問われるコメントの投稿者の見通し、及び申立て会社に課された制裁(320ユーロ)が穏当なものであることなどを考慮に入れて、欧州人権裁判所は、エストニアの裁判所が申立て会社に責任を認めたことは、ポータルの表現の自由への政党で均衡のとれた制限であるとした。
マギャー・タータロムゾルガルタトク・エギュシュレテ及びインデックス.hu Zrt対ハンガリー事件(2016年2月2日)
本件はインターネット・コンテンツ・プロバイダーとインターネット・ニュースポータルの自己規制組織が、2つのウェブサイトにビジネスを批判して意見が書き込まれたため、ウェブサイトに投稿された卑猥で攻撃的なオンライン・コメントについての責任に関する事案である。申立人は、ハンガリーの裁判所が、申立人にはウェブサイトの読者が行ったコメントの内容を穏当なものにする義務があったとして、申立人に責任を問うたことについて、インターネットの自由な表現を越えると論じて、申立てた。
欧州人権裁判所は条約第10条(表現の自由)の侵害があったと判断した。裁判所は、書き込みは伝統的な意味での出版ではないが、インターネット・ニュースポータルは原則として義務と責任を負うと強調した。しかし、欧州人権裁判所は、ハンガリーの裁判所が申立人の件で責任観念について判断した際、競合する権利の間で、すなわち申立人の表現の自由の権利とウェブサイトの商業上の評判を尊重される権利の間で適切な比較考量をしなかった、と判断した。申立人の事案は、先述のデルフィ対エストニア事件とは異なる側面がある。デルフィ事件では、欧州人権裁判所は商業運営のインターネット・ニュースポータルにはその読破による攻撃的なオンライン・コメントについて責任があるとした。申立人の事案には、デルフィ事件のようなヘイト・スピーチと暴力の煽動という中核的要素がない。本件書き込みは攻撃的で卑猥であるが、明らかに違法な言説に当たらない。さらに、インデックスは経済的利益を持つと見られる大きなメディア企業の所有者であるが、マギャー・タータロムゾルガルタトク・エギュシュレテはそうした利益があるとは知られていない、インターネット・サービス・プロバイダーの非営利的自主規制組織である。
ピール対スウェーデン事件(2017年2月7日、許容性に関する決定)
申立人は、あるブログに匿名で書かれたオンライン書き込みで中傷された。申立人はそのブログを運営していた小さな非営利組織を相手に、第三者による書き込みに責任を持つべきだと民事訴訟を起こした。申立人の請求はスウェーデンの裁判所及び司法官によって拒否された。申立人は欧州人権裁判所に、この組織に責任を負わせなかったことによって、政府当局は申立人の名誉を保護せず、私生活を尊重される権利を侵害したと申し立てた。
欧州人権裁判所は申立てが明らかに誤っているとして許容されないと判断した。欧州人権裁判所は特に、本件のような事案では、私生活を尊重される個人の権利と、インターネット・ポータルを運営する個人または集団が享受する表現の自由の権利の間でバランスがとられなければならないとした。本件の事情に照らして、欧州人権裁判所は、国内当局が匿名コメントについて組織の責任を問うことを拒否する際に、公正なバランスを取らなかったと認定した。特に次の理由による。当該コメントは攻撃的であるが、ヘイト・スピーチや暴力の煽動には当たらない。非営利組織が運営する小さなブログへの投稿である。申立人が申立ててから経過した期日。コメントがおよそ9日間しか掲載されていなかったこと。
スマジッチ対ボスニア・ヘルツェゴヴィナ事件(2018年1月18日、許容性に関する決定)
本件は、戦争のさなかブルコ地方でセルビア人の村に行われた軍事作戦について、インターネットf・オーラムに一連の投稿を行ったため、国民、人種、宗教憎悪、不和、又は不寛容の煽動で有罪とされた申立人の件である。申立人は特に、公共の関心のある事柄について自分の意見を表明したために有罪とされたと申し立てた。
欧州人権裁判所は、申立ては明らかに誤っており条約第10条(表現の自由)のもとで許容されないと判断した。裁判所は特に、国内裁判所が申立人を有罪とするための正当事由が十分にあると注意深く検討した、と認めた。すなわち、申立人は、紛争後のボスニア社会言置ける民族関係という非常にセンシティブな問題に言及しながら、セルビア人に対する強く誣告する表現を用いたことを認定した。さらに、申立人に課された刑罰は執行猶予付きとコンピュータの没収であり、過剰なものではない。それゆえ、申立人の表現の自由の権利への介入は、法律に定められており、他者の名誉と権利を保護する正当な目的を追求したもので、条約の侵害の兆候を示していない。
ニックス対ドイツ事件(2018年3月13日、許容性に関する決定)
本件では、申立人はブログにナチスの指導者の肖像とカギ十字を投稿したとして有罪とされた。申立人は、国内裁判所が、申立人のブログ投稿が、移民の背景から子どもたちに対する学校や雇用事務所の差別に抗議としようとしたことを考慮していないと主張した。
欧州人権裁判所は、申立ては明らかに誤っているので許容されないと判断した。申立人が全体主義のプロパガンダをするつもりはなく、暴力を煽動したりヘイト・スピーチをするつもりもなく、公共の関心事項について議論しようと考えたことは認められるが、国内裁判所は、申立人が「人目を惹く」装置としてナチス親衛隊長ハインリヒ・ヒムラーとカギ十字を用いたのであり、それは反憲法的組織のシンボルの利用を予防するために刑罰を科すことを法律が定めているものの一つ(いわゆる「伝達タブー」)であるとしたことを、非難することはできないと欧州人権裁判所は判断した。国内判例法は明らかに、こうしたシンボルの批判的利用だからといって、刑事責任を免れるのに十分とは言えず、ナチス・イデオロギーに明確に反対することが必要だとしている。申立人の事案では、欧州人権裁判所は、申立人がブログの投稿においてナチス・イデオロギーに明確に反対しなかったという国内裁判所の評価から離れる理由はないとした。それゆえ欧州人権裁判所は、国内当局は申立人の表現の自由への介入に妥当且つ十分な理由を示したのであり、本件では評価の限界を超えていないと結論付けた。
サヴァ・テレンティエフ対ロシア事件(2018年8月28日)
本件は申立人がブログ投稿の書き込みにおいて警察官を侮辱する発言をして憎悪の煽動で有罪とされた事案である。
欧州人権裁判所は、条約第10条(表現の自由)の侵害があったと判断した。欧州人権裁判所によると、申立人の言葉は攻撃的でショックなものだったが、それだけで表現の自由への介入を正当化するのに十分とは言えないとした。国内裁判所は、申立人の書き込みの全体の文脈を見るべきであり、申立人は警察に対する身体暴力を呼びかけたのではなく、警察による介入に対して感じた怒りを表現するのに挑発的な仕方をしたに過ぎない。
ベイザラスとレヴィカス対リトアニア事件(2020年1月14日)
⑦「同性愛ヘイト・スピーチ」を参照。
以上