2020年9月、欧州人権裁判所プレス部が「ファクトシート:ヘイト・スピーチ」という文書(全20頁)を公表した。この文書は判決や決定ではなく、裁判所の公式の法的見解という訳ではない。プレス部(Press Unit)が作成したメディア向けの解説のようだ。
文書では、欧州人権条約に基づいて欧州人権裁判所で争われた多くの事案の判決が紹介されている。ガロディ対フランス事件のような有名事件は日本でも紹介されてきたが、ざっと見たところ、これまで日本に紹介されていない判決も少なくないようだ。
私はこれまでヘイト・スピーチに関する国際人権法として、国連人権理事会、国連人権高等弁務官事務所、人種差別撤廃委員会等の情報を紹介してきた。欧州人権裁判所の研究をしたことがないので、日本の研究者の間でどの程度の研究がなされてきたかも知らない。だが、日本におけるヘイト・スピーチ論議で欧州人権裁判所の情報に言及されることはあまりない。
『国際人権』や『ヨーロッパ人権裁判所の判例Ⅱ』が公刊されており、判例その他の紹介がなされてきているので、今後はきちんとこれらも射程に入れた議論をしていく必要がある。
光信一宏の論文ではフランス法、スペイン法の研究がなされ、その中で欧州人権裁判所にも言及があって参考になる。
ECRI「ヘイトスピーチに対する闘いに関する一般政策勧告第15号」は、岡田仁子と平野裕二による全訳が公表されている。素晴らしい仕事だ。
その意味では私が手を出す必要はないことが分かる。国連人権機関の情報を紹介するだけでも手一杯だ。とはいえ、こればかりやっているのもつまらない。多少は芸を広げなくてはとも思う。自分の勉強のためにメモをつくっていきたい。
以上は余計な前置き。
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「ファクトシート:ヘイト・スピーチ」は、冒頭で2つの判決から引用する。
1つは、ハンディサイド対イギリス事件判決(1976年12月7日)からの引用である。
「表現の自由は民主社会の本質的基礎を成し、民主社会の前進とすべての人の発展のための基礎条件の一つである。欧州人権条約第10条2項に従って、表現の自由は不快や無関心な事柄と受け止められる情報や思想にだけ適用されるのではなく、国家や住民の一部の気分を害し、衝撃を与え、かき乱す情報や思想にも適用される。それは多元主義、寛容、包容力の要請であり、それなしには民主社会が存在しない。このことはとりわけ、この領域で課される形式、条件、制約又は刑罰が正当な目的に照らして均衡がとれていなければならないことを意味する。」
もう1つは、エルバカン対トルコ事件判決(2006年7月6日)からの引用である。
「すべての人間の平等の尊厳のための寛容と尊重は、民主的で多元主義的な社会の基礎を成す。すなわち原則としては、一定の民主的社会において、不寛容に基づいて憎悪を拡散、煽動、助長又は正当化する表現のすべての形態に、制裁を課し、予防さえすることが必要とみなされる。その際、課される形式、条件、制約又は刑罰が正当な目的に照らして均衡がとれていることを要する。」
1.
憎悪煽動と表現の自由に関する事案を取り扱う時、欧州人権裁判所は欧州人権条約が用意する2つのアプローチを用いる。1つは条約第17条の権利濫用の禁止であり、もう1つは条約第10条2項に設定された保護に関する制限である。
2.
商業目的であれ研究目的であれ、インターネットニュース・ポータルは、条約第10条2項に従って、表現の自由に伴う「義務と責任」に適うプラットフォームを提供する。
その上で、「ファクトシート:ヘイト・スピーチ」は、「条約の保護の適用除外」「条約第10条(表現の自由)の保護に関する制限」「ヘイト・スピーチとインターネット」に分けて、多くの判決を紹介する。