Sunday, April 19, 2015

大江健三郎を読み直す(44)全体を見る眼

大江健三郎『言葉によって――状況・文学*』(新潮社、1976年)
初読の時には基礎知識がなく理解していなかったが、今回読み返してみて、このあたりからだったのかと思った。1972年から1976年の11の文章が収録されているが、10番目が「風刺、哄笑の想像力」、11番目が「道化と再生への想像力」だ。ラブレー、金芝河、ポール・ラディン、山口昌男、バフーチン。トリックスター、グロテスク・リアリズム、祝祭。『同時代ゲーム』に至る、そしてここから本格化した大江文学の、文学理論がストレートに説かれている。後に『小説の方法』で本格的に展開されるが、本書ですでに主要部分が登場している。
「状況」と「文学」を交錯させた本書は、初期のエッセイ集や、『状況へ』に続く「状況への発言」と「文学理論」の拮抗した大江文学の宣言書である。時代状況への発言だけに、目につく言葉を抜き書きすると、日韓条約、沖縄返還協定、ニクソン・田中会談、椎名麟三、原民喜、三島由紀夫、絶対天皇制、おもろさうし、志賀直哉、カート・ヴォネガット・ジュニア、金大中、金芝河、ガッサン・カナファーニー、非核三原則、ソルジェニーツィン、マルクーゼ、ギンズブルグ・・・と続く。
印象的な文章が多すぎるので、一つだけ引用しておく。
「全体を見る眼というのは、われわれが生きているこの状況の全体を見通す、現代世界の全体を見通し・把握する、その仕方を考えると言うことでまずあるでしょう。同時にそれは、この状況のなかで、現代世界のなかで生きている人間の、そのひとりの人間としての全体をとらえる、その仕方でもあると思います。そして私が考えますのは、そのような状況、現代世界を眺めてその全体を把握する眼が、そのままその状況のなかで生きている人間の全体をとらえることに重なってゆくのが文学であるということなのであります。」