前田朗「ヘイト・スピーチと闘うために――二者択一思考を止めて、総合的対策
を」『子どもと教科書全国ネット 21NEWS』100号(2015年)
<一部抜粋>
3 「処罰か教育か」説
次に登場したのが「処罰してもヘイト・スピーチはなくならない。教育こそが重要である」という主張である。2015年1月15日に放映されたNHK・クローズアップ現代のヘイト・スピーチ特集は国内外でていねいに取材をした良い番組であるが、結論は「教育が大切だ」であった。憲法学者の多くも教育論を唱える。しかし、この主張には疑問がある。
①処罰積極派は「処罰でヘイトがなくなる」と主張していない。総合的対策を唱えてきた。教育が重要なのは当たり前である。②「教育論者」はいかなる教育をするのか具体的な提案をしない。どのような教育によって、いつまでにヘイト・スピーチをなくすことができるのか、責任ある提案をするべきである。③日本の教育が残念ながらヘイト・スピーチを予防・抑止できなかった事実をどう考えるのか。
憲法学者の奥平康弘(東京大学名誉教授)は「処罰ではなく文化力の形成を」と唱える(奥平康弘「法規制はできるだけ慎重に むしろ市民の『文化力』で対抗すべきだろう」『ジャーナリズム』282号、2013年)。なるほど、ヘイト・スピーチを許さない文化力を形成することは必要不可欠だ。問題はどのような方法で、いつまでに文化力の形成が可能なのかであるが、奥平は言及しない。具体的方法論抜きに文化力の形成を待つということは、現に生じているヘイト・スピーチとその被害を放置することしか意味しない。
「処罰か教育か」説は不適切である。処罰も教育も必要不可欠なのだ。本当に教育について考えるのならば、処罰を否定するためにご都合主義的に教育論を持ち出すのではなく、教育の理念と具体的内容を明晰に語るべきである。人種差別撤廃条約第7条は教育の重要性を指摘し、これに基づいて各国で実践の追求が続いている。