Saturday, May 23, 2015

ウォルドロン『ヘイト・スピーチという危害』(6)

第六章「C・エドウィン・ベイカーと自律の議論において、ウォルドロンはまず衡量アプローチを説明する。「言論の自由の重要性を強調するものの、しかしこれらの事例では、言論の自由が引き起こすかもしれない危害に関連するその他の考慮すべき事柄のほうが、その重要性を上回ることを認める」。続いて内容中立規制や思想の自由市場論について検討し、思想の自由市場論は「迷信」にすぎないと指摘する。
その上で、ウォルドロンはベイカーの自己開示と自律の議論を取り上げる。「自らを開示する諸個人の集まりが、自分と自分の価値を他者に向けてどのように提示するかを選択し、そして他者の自己開示に対してどのように応答するかを選択するという構図である」。ベイカーによると、これこそが「自立を尊重する社会の基盤」ということになる。これに対して、ウォルドロンは、ヘイト・スピーチがベイカーの言う自己開示にふさわしいのか疑問を提示する。ヘイト・スピーチの「遂行的」性格が重視される。第二にヘイト・スピーチがもつ破壊的側面を強調する。仮に自己開示として構築的側面を有する場合であっても、 「重要な社会的財にとっては快適な側面」を持つからである。衡量アプローチの観点からは、ベイカーは一方の衡量されるべき価値を見落としているのである。

ウォルドロンはそこまで述べていないが、ベイカーの議論は相対話する者同士の関係に限定された理屈にすぎない。自己開示と称しているが、「自己開示しない自由」を否定して、一方的に他者に自己開示を強要することを認める点で、人格権や人間の尊厳に対する無理解と言うしかないだろう。