第二章「アンソニー・ルイスの『敵対する思想の自由』」は、本書に収められた文章による論争の出発点となった書評である。
ルイス『敵対する思想の自由』(慶応義塾大学出版会、2012年、原著2007年)は、ピューリツアー賞受賞ジャーナリストによる思想の自由、表現の自由の擁護の書であり、アメリカ最高裁における思想の自由と表現の自由の確立過程を追いかけた著作だが、その中でウォルドロンへの批判があり、ウォルドロンは書評で反論をすることになった。その書評に加筆したのが第二章である。
ウォルドロンは、アメリカ司法における表現の自由の議論の仕方の変遷を概説し、オリヴァー・ウェンデル・ホームズでさえその思考に大きな振れ幅のあったことを示す。重要なのは、政治家など権力者に対する批判の自由と、マイノリティに対する侮辱や差別などヘイト・スピーチとを、乱暴にひとくくりにしないことである。公衆のヒステリーが公論をどのように歪める機能を有するかを知る必要がある。ウォルドロンは次の2点に留意する。
「第一に、私たちが憎悪する思想が争点なのではない。思想が争点だとすると、まるでヘイト・スピーチを規制する法律の擁護者が人々の心の中に入り込もうとしているかのようである。争点になっているのは思想を公にすることであり、また目に見える、公然とした、そして半ば永久的な告示による社会環境の汚染を通じて個人と集団に及ぼされる危害なのである。」
「第二に、争点となっているのは、たんに、私たちが憎む思想を、私たちが寛容に扱うのを学ぶことだけではない――たとえば修正第一条を専門とする法律家としての私たちが。人種差別主義的憎悪の表現がもたらす危害とは、まず何よりも、人種差別主義のパンフレットや看板において非難され、動物呼ばわりされる集団にとっての危害である。率直な言い方を許してもらえば、それは人種差別主義的な罵りを悪趣味とみなす白人のリベラル派にとっての危害ではない。」
このように、ウォルドロンは、ヘイト・スピーチの思想性ではなく表現行為性に着目して、その危害が誰の上に起きているのかを論じている。正当な指摘である。これは日本での議論でも注意するべき点である。