Saturday, November 28, 2015

ヘイト・スピーチ研究文献(42)朝鮮人に対するヘイト・スピーチ小史

前田 朗「朝鮮人に対するヘイト・スピーチ小史(一)(二)」『部落解放』715号・716号(2015年)
ヘイト・スピーチが流行語になったのは2013年である。このこともあってか、最近ヘイト・スピーチについて言及する研究者の言説に「2013年にヘイト・スピーチが始まった」とか、「在特会が発足した2007年にヘイト・スピーチが始まった」といった趣旨の記述が出始めた。
しかし、日本におけるヘイト・スピーチはずっと以前からあった。ヘイト・クライムもヘイト・スピーチも一貫して存在してきたと言って良い。
アメリカでヘイト・クライム、ヘイト・スピーチという言葉が使われるようになったのは1980年代後半のことだが、この現象がそれ以前に存在しなかったわけではなく、研究論文を見ると、「アメリカ建国以来ヘイト・クライムがあった」として、アメリカ史におけるヘイト・クライムの歴史を記述している。
同様に日本におけるヘイト・クライムの歴史をきちんと記述する必要があるが、到底それだけの力がない。本論文では、筆者が「在日朝鮮人・人権セミナー」の一員として取り組んだ反差別と人権擁護闘争の中で出版した著作『いま在日朝鮮人の人権は』(1990年)、及び2冊のパンフレット『切られたチマ・チョゴリ』(1994年)、『再び狙われたチマ・チョゴリ』(1998年)をもとに、1987年、1989年、1994年、1998年に激化した朝鮮人に対する差別とヘイトを紹介した。

朝鮮半島の植民地化から現在に至る近代日本史における差別とヘイトの全体を射程に入れる必要があるが、それは歴史研究者にお願いするしかない。