Monday, November 02, 2015

上野千鶴子の記憶違いの政治学(2)

めくるめく論理

 上野は「文書史料至上主義の実証史学」の罠を指摘し、この罠から逃れる必要性を強調する。だが、こんな一般論はいつでも誰でも言えることだ。問題は「文書史料至上主義の実証史学」とは具体的に何を指しているのか、である。
 上野は「新しい歴史教科書をつくる会」と、それに対する対抗言説としての「吉見義明氏のような良心的な歴史家たち、それに鈴木裕子氏のような反天皇制的な女性史の担い手たち」などを取り上げて、両者は「基本的な歴史観・国民観を共有している」と一括りにする。「両者の第一の共有点は実証史学という方法論の前提である」と。そして「実証史学」が「文書史料至上主義」に陥る危険性を指摘する。
 「どちらの立場からも忘れられているのが『被害者』の『証言』とそれがもたらしたパラダイム転換である。戦後半世紀たって、『慰安婦』経験者が『被害者』として『証言』したとき、『失われた過去』は初めて『もうひとつの現実』として回復された。そのとき、歴史が新しくつくりなおされた、といってもよい」
  対立するAの立場とBの立場を相互に突き合わせて検討し、両者の限界を克服しつつ新しいCの論理を編み出すという思考方法がある。上野の方法はこれとは異なる。対立するAの立場とBの立場の双方を単に一括りにして否定し、Cの論理を対置する。似ているが、違う。違いを見究めるには難しい理屈を唱える必要はない。
 上野は、吉見義明や鈴木裕子に代表される言説に「良心的な歴史家、まじめな歴史家、実証史家」といった形容をふして、その限界を指摘し、実証史学を超えようとする。実証史学は「文書史料至上主義」に陥り、「文書史料至上主義の最大の問題は、それが被害者の証言の『証拠能力』を否認することである」と宣告する。
 吉見や鈴木の代弁をする立場にないので、ごく簡単に指摘しておくにとどめる。吉見や鈴木は、事実を確定するために文書史料を調査・研究してきたが、「文書史料至上主義」に立ったとは到底考えられない。吉見や鈴木が「被害者の証言の『証拠能力』を否認する」どころか「被害者証言の重要性」を指摘してきたことは周知のことである。被害者証言の重要性を認識したからこそ、被害者救済の論理を構築するため、歴史の事実を徹底的に解明する作業に取り組んだのである。「史料で確認できるのは何か、その他の状況証拠から言えることは何か、被害者証言と突き合わせるとどうなるか」。議論の水準を区別し、真相解明に向けて協働してきたのである。
 「わたしたちの前提は、被害者が思い切って口を開いたとき、その被害者の圧倒的な『現実(リアリティ)』から出発するほかない、ということである」
 一見もっともらしいことを言っているが「被害者の圧倒的な『現実』から出発」したからこそ、吉見や鈴木らの調査・研究が成果を挙げたのである。しかも、文献研究だけをしたのではない。吉見も鈴木も被害者証言の現場に立ち会い、研究の糧にしてきた。彼らの研究は戦後補償運動の武器となり、被害者救済の根拠となってきた。謝罪と賠償を求める被害女性を勇気づけてきたのである。そうした『現実』を見ようとしない上野は今頃になって「『現実』から出発するしかない」とありきたりの一般論を述べ、さまざまの解釈を唱えるが、実際は「出発」しようとすらしない。
 同じことを山下明子が明快に指摘している。「歴史学者として『従軍慰安婦』問題を研究し、かつ行動する鈴木氏の判断基準を『歴史の真空地帯に足場をおく』ものだというような批判は、逆に上野氏自身の足場への疑問を浮かび上らせる。元『慰安婦』の女性たちの告発は、九〇年代のジェンダー視点をもった歴史解釈によって可能となったとしても、彼女たちの現在性は解釈のことではない」(山下明子『戦争とおんなの人権』明石書店)。
  上野は「新しい歴史教科書をつくる会」と吉見・鈴木の「両者の第一の共有点は実証史学という方法論の前提である」と認定する。「新しい歴史教科書をつくる会」や「自由主義史観研究会」の方法論を「実証史学」だと言うのである。これはブラック・ジョークだろうか。藤岡信勝や小林よしのりらの議論が、歪曲と隠蔽とすり替えから成り立っていることはもはや明らかであるにもかかわらず、上野は彼らに「実証史学」の名誉を付与する。「『歴史観』の名にも値しない、思い込みでしかない論理」(藤野豊「『自由主義史観』とはなにか」同編『教室から「自由主義史観」を批判する』かもがわ出版)、「『ゴーマン』史観」(アジア女性資料センター編『「慰安婦」問題Q&A』明石書店)、「ウソ」(吉見義明・川田文子編『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』大月書店)でしかないものを上野が「実証史学」と称するのはなぜなのか。「彼らは学問上の論戦を挑んでいるのではなく、学問的理性そのものに挑んでいる」(徐京植『分断を生きる』影書房)のに、彼らを「実証史学」と呼ぶことは「実証史学」に対する侮辱ではないだろうか。
 上野の無謀な理屈はこれだけではない。別の箇所では「新しい歴史教科書をつくる会」を批判して「これは文書史料至上主義の実証史学の立場をとっている。しかしこれはネオナチの論理と変わるところがない」と批判している。そうであれば、上野の論理からは必然的に、吉見や鈴木の方法論が「ネオナチの論理と変わるところがない」ことになるはずである。なぜこうなってしまうのか。話は簡単である。概念定義もせずにその場の思いつきを並べているだけだからである。

証言こそ重要と誰が言ったか

 吉見や鈴木もその中に身を置いて重要な働きをしてきた戦後補償運動は、証言を重視してきた。「慰安婦」問題に限定してみても、画期的だったのは九一年八月の金学順さんの証言であり、九一年一二月の国際公聴会での多数の被害女性の証言であり、九二年から九三年にかけての国連人権機関でのロビー活動における被害女性の証言であり、例年夏に各地で開催される「心に刻む会」等の証言集会であり、「慰安婦」訴訟における原告らの証言である。被害証言が多くの人々の心を打ち、戦後補償運動の広がりをもたらした。アジアの被害者の連帯も広がった。戦後補償運動はこうした証言の掘り起し、各地における証言集会の開催、証言記録の出版に向けて協力しあってきた。
 歴史学について見ても、こうした証言を重要視して歴史の中に位置づけるために研究が進められたことは明らかである。一例を示すと、吉見義明・林博史編『共同研究日本軍慰安婦』(大月書店)を見れば明らかなように、歴史資料と被害者証言を活用して「慰安婦」の全体像を解明する作業が進められている。だから、今回の「論争」においても、証言の証拠能力を否認するはずもなく「証言こそ証拠である」と唱えてきたのだ。
 もう一つだけ例を示そう。ピースボートが主催して「歴史の事実を視つめる会」と「正論の会」とが直接対決した五月一二月のイベント「『元気が出る』歴史教科書を語ろう!」(東京ウィメンズプラザ)において、末広芳美は「わたしは証言こそが証拠であると思います」と繰り返し断定している(『MARU』一一四号)。上野以外の誰もが証言の重要性を唱えてきたのだ

素朴な認識論的疑い

 上野は「歴史的『事実』というものは誰が見ても同じに見えるようなそんなに単純なものなのだろうか、という歴史学の方法論に関わる問い」について語り、「『言語論的展開』以降の社会科学はどれも、『客観的事実』とは何だろうか、という深刻な認識論的疑いから出発している」と語る。なるほど、お勉強していることはわかる。しかし、もっと素朴な次元での事実認識を反省したほうが良いだろう。たとえば上野は次のように述べる。
「『慰安婦』問題の歴史史料の発掘にもっとも精力的に貢献してきた良心的歴史家、吉見義明は『朝まで生テレビ』で小林よしのりらに問いつめられ、ついに日本軍の関与を正式に証明する文書史料が『ない』ことを認めた。もし文書史料至上主義に立つならば『ない』と認めるほかない」
  前田は当の『朝まで生テレビ』を見ていない。「認めた」と断定する上野は見たのだろう。しかし上野の文章には疑問がある。
  「見ていない」のにこのように書くと<実証主義的>ではないと思われるかもしれないが、同じ場面を小林よしのり『新ゴーマニズム宣言第三巻』(一七〇頁)は次のように描いているのだ。
「『朝鮮では強制連行確認できていないんですね?』と西岡力氏に質問され、これは『そうですね』と認めたが、『えー今のところ植民地では確認できていないということですね。占領地ではありました』というあいまいな見解はくずしていない」
これなら一応は理解できる。違いは二点である。
第一は「植民地」という場所の限定である。吉見が場所を限定しているのに、上野は限定を無視する。先に見た、前田の国際条約に関する文章からの引用の仕方と同じである。フェアでない。
第二は「関与」と「強制連行」の違いである。吉見の発言は「奴隷狩りのような強制連行を軍が命じた公式文書史料は確認されていない」という趣旨であろう。上野は、吉見が「関与を証明する文書史料がない」と認めたとしているが、ありえない話である。
  ここで明らかなことは「論争」の焦点が理解されていないことである。だいたい小林よしのりが「関与はない」とか「関与を証明する史料はない」と言うことすらありえない。『新ゴーマニズム宣言第三巻』「特別篇ゴー宣版従軍慰安婦史料集」は「日本軍の関与はあったが、それは『よい関与』『いい関与』である」と懸命に主張しているのだ。
  「文書史料至上主義に立つならば『ない』と認めるほかない」というのも奇妙だ。「慰安婦」強制連行の史料は存在するが、もしそれが存在しないとすれば、確認されていないとすれば、「存在しない」「確認されていない」と言うのは当然であり、「文書史料至上主義」に立つかどうかとは関係ない。「文書史料至上主義」に立たない上野は、文書が存在しない場合でも「ないとは認めない」のか。上野は「文書史料至上主義」を多義的に用いているのではないか。

  現に吉見は次のように述べている。「女性たちが、どのように『丁重に』連れてこられたにせよ、慰安所において強制があれば、それだけで犯罪であるわけです。慰安所において強制があったことは、被害者はもちろん、加害者の記録と証言において十分に再現できます。また、吉田清治氏の言うような連行を別にすれば、植民地においても強制連行があったと、私は言っているのです。これまでの証言と資料によって、問題を起こした主体が国家であり、『慰安婦』制度というものがあった事実を、私は論証できます」(『論座』九七年一二月号)。