Tuesday, November 03, 2015

上野千鶴子の記憶違いの政治学(3)

「実証主義」以前

 上野はなぜ「吉見は関与を証明する文書史料はないと認めた」と書くことができたのか。それは「強制連行」概念を理解していないためである。引用した文章の前後では上野も「強制連行」という言葉を使っている。しかし「強制連行」とは何かには関心を示さない。小林と吉見がそれぞれ異なる「強制連行」概念を使っていることにも気づかない。そのため、焦点がわからなくなって「関与はない」となってしまうのである。
           「講演記録なのだから講演の際に言葉を省略したためにこう表現しただけである」とは言えない。「論争」の焦点部分をこのように「省略」することは最初からまったく不当ではないか。
         活字化する際にわざわざ注をつけたり参考文献を列挙したりしてあたかも論文風にまで仕立てているのだから、単なる不注意とは考えられない。
           「強制連行とは何か」について言及しないまま、強制連行について語られている「論争」を「超えて」と称している。「論争」を「超える」ためには、まずその「論争」の中味を正しく理解する必要があるにもかかわらず。
           「ここでは書いていないだけで、実は『強制連行』概念くらい知っていた」とは言えない。小林と吉見の議論のずれに気づいていれば、もともとこのような文章を書くことができないからだ。
           二一頁もの長い文章なのに「強制連行とは何か」を一度も問題にしようとしていない。先に見たように、前田への「反論」で上野は、前田の書いていないこと、取り上げていない次元の問題を引き合いに出している。前田のその文章はわずか二頁であるのに、そのなかで書いていないことで上野は「反論」する。ならば、二一頁もの長さの文章にもかかわらず肝心のことを書いていないのは「強制連行」概念を理解していないと断定されて当然であろう。
           現に「記憶の政治学」は先の引用に続いて次のように述べている。
「吉見氏が発見し、一九九二年の日本政府による公式謝罪発言のもとになった防衛庁防衛研究所図書館で発見された文書は、『強制連行』の傍証になっても『強制連行』の事実そのものを裏付ける史料ではない、ということがほぼ共通の了解となった」
 ここではカッコつきで「強制連行」としているものの、実際には小林と同じ意味で用いている。「強制連行」概念を正しく理解していれば、小林と同じ意味で使うことはなかったであろう。
           結論。日本型歴史修正主義と吉見・鈴木とは方法論を共有していない。日本型歴史修正主義と上野が共有しているのは、いずれも「実証主義」の域にも達していないことである。「実証史学を超えて」と言うが、超えやすいように引き下げたバーを超えただけである。

国際人権法から

 上野は理由にならない理由で国際条約を基準にすることを排斥する。しかし「慰安婦」問題の解決に向けて九二年以来行われてきたのはまさに国際条約をめぐる熾烈な論戦であった。詳細は省略せざるをえないが(本書全体が述べている通り)、そこでは、性奴隷とは何か、強制労働とは何かが問われた。奴隷条約や強制労働条約等の当時の国際条約を根拠として違法性が追及された。当時の人権論が「慰安婦」を否定し、違法としていることを概念的に把握して初めて、今日の人権論の水準から再解釈することが有益である。ところが、上野は国際条約に依拠した議論を排斥し、その結果として人権論自体も無視してしまう。大越愛子の次の指摘は興味深い。
 「上野千鶴子の掲げたマルクス主義フェミニズムなるものが、人権論と無縁なのは、それがすぐれて日本流ポストモダンの産物であるからである。欧米においては、マルクス主義フェミニズムといえども人権論や他の差別問題との関連付けを看過することは許されない。もしそうすれば、それは人間解放理論としての思想的意味づけを失ってしまうだろう。思想において個的モラルを問わないのは、日本の悪しき伝統だが、日本のマルクス主義のブルジョワ・モラル批判で、それが正当化されてしまったのは、不幸なことであった」(大越愛子『闘争するフェミニズムへ』未来社)。

わたし探しの物語

 歴史認識の次元で法律論とは別の基準を採用するのは自由だ。しかし、法律論を否定してこれに取って代わるには、その正当性を論証する必要がある。上野はその責任を果たしていない。それでは「国民国家を超え」た上野はどこにたどり着くのだろうか。
 「『国民』でもなく、あるいは『個人』でもなく。そのどちらの極にも振れずにどうやって『わたし』の責任を引き受けていくことができるか。」「ふたたび『慰安婦』の問題に問いをさしもどせば、国家の責任は『わたし』の責任ではないが、逆に国家の免責は『わたし』の免責にはならない。」「『慰安婦』問題は、彼女たちの問題ではない。それは『わたし』の問題なのである」
           つまり上野の「記憶の政治学」とは陳腐な<わたし探しの物語>なのである。だからこそ、二一頁にもわたる文章の中で、けっして一度たりとも被害者救済の必要性が説かれることはないのだ。「わたし」の問題である以上、「わたし」が「実証主義を超えて」「国民国家を超えて」いくことに意味があり、それに尽きる。被害者救済は関心の外に置かれる。主題ではないからわざわざ指摘しなかっただけとの弁解は成立しないし、筋違いとの弁解も成立しないだろう。「慰安婦」問題について語る際の姿勢そのものが問われていることは改めて言うまでもない。被害者の現在性を「わたし」の現在性にすり替えて、被害者の告発を「解釈」の世界に押し込めることで、世界は「わたし」のものになる。
           「慰安婦」問題は日本の戦争犯罪であり、今日、国際的に日本政府の法的責任が問われている。たしかに「国家の責任はわたしの責任ではない」だろう。しかし、そんな当たり前のことをなぜ、いま、この文脈で言う必要があるのか。日本政府に法的責任を認めさせ、被害者に謝罪と賠償を実現することが「日本国民」の「責任」ではないだろうか。この点を無視して、「国民国家を超える」ことは「加害と被害」の関係をあいまいにしてしまう働きをする。自分だけ「国民国家を超えた」つもりになっても、アジアの被害者から見れば「日本国民」であることに何の変りもない。越えられない「国民国家」の現実に向き合い、「戦後責任」を果たすことが第一歩ではないだろうか。体当たりして落としたバーをこっそり元に戻して「超えた」つもりになってもらっては困る。ここでも山下明子の鋭い指摘がある。
「(上野の立論は)ジェンダーの視点から国民国家を全体的に否定する論調ではあるが、なぜ『従軍慰安婦』が現在化しているのかについて、公私一体化に固有の特色がある日本の天皇制国民国家とその『戦争体験』(戦争責任)を具体的に問う視点はここからは出てこないだろう。『外』=他者とのつながりにおいてジェンダー体験を省察できない限り、日本の女性が『国家』を超えることは、性差をなくすよりも困難だと思われる」(『戦争とおんなの人権』)。
           同じ問題を徐京植は次の様に述べている。「特権や既得権の政治共同体としての日本国家はあり、その成員としての日本国民と言うものはある。戦争当事者でない世代の日本人にも、たとえ直接の罪意識はなくても、私はやはり『恥』以上のものを感じるべき責任があると言いたいのです」(徐京植『分断を生きる』)。
 安直に「国民国家を超える」つもりになるのではなく、「国民国家」の現実に挑むことが求められているのである。
           国際条約に依拠する議論を排斥して国家の法的責任をあいまいにする議論は「アジア女性基金」の論理と見事に共鳴する。上野の主観的意図はともかく、「国家」でも「個人」でもなく「わたし」の責任を引き受け「わたしの問題」を解決するためには「アジア女性基金」という立派な受け皿があることになろう。しかしそれは「超えた」はずの国家の免責の論理でしかない。そのことによって和解の可能性を遠ざけ、被害者・被害者支援団体に分裂と不信を持ち込む最悪の事態を招き、新たな国際問題まで生み出していることを上野はよく記憶しておくべきではないか。
           上野の「記憶の政治学」の随所にちりばめられた事実誤認や歪曲は、その一つひとつをとっても看過し得ない問題をもつ。しかし「記憶の政治学」の最大の問題は、吉見や鈴木を中傷し、吉見らと日本型歴史修正主義を同列に並べ、国際条約に依拠した議論や人権論を封じ込め、それによって被害者救済の法的根拠から目をそらさせる役割を果たしていることである。
「上野や小倉千加子のフェミニズムの功罪は、よく言われるような彼女らの商業主義にあるのではない。世界観や価値観の変革を迫るフェミニズムの生真面目な精神に対する彼女たちの冷笑こそが問題なのだ。フェミニズムの根本精神を否定して憚らない不可解な発想が、フェミニストの名の下でマス・メディアを通して世間に流され、それが世界観や価値観を変えたくない多数派に受けたところに、問題があるといえよう」(『闘争するフェミニズムへ』)。
 本稿の結論は、この大越愛子の指摘と完全に合致する。

向き合うべき課題

 それでは日本軍「慰安婦」問題にどのように向き合うべきであろうか。そして、どのように語るべきであろうか。
 その回答は、戦後補償運動の展開それ自体が示してきた。戦後補償運動は被害者証言に耳を傾け、その歴史的体験を自らの理性と感性を総動員して追体験しようとしてきた。鳥肌を立て、心を痛め、涙を流し、唇を噛みながら、もっとも悲惨な性暴力の現実に向き合い、想像力を働かせ、理解と共感と連帯の空間を創りあげてきた。そして、被害者の裁判を支援し、生活を支援してきた。歴史研究者は旧軍資料や当時の文献を調査し、被害者証言とつき合わせて事態の全体像を解明しようとした。各地の慰安所の調査、関与した日本人からの聞き取りも進んだ。法律家は強制労働条約や奴隷条約を検討し、さらに戦争犯罪の法理を研究した。さまざまの市民がそれぞれの持ち場でそれぞれの創意と工夫で戦後補償運動を展開してきたのだ。それにはいくつもの限界や矛盾もあった。しかし、限界を乗り越え、矛盾を克服しながら、日本政府の法的責任を明らかにし、謝罪と賠償を求める運動が継続してきた。
 それは、自分のせいではない歴史、自分が生まれる前の歴史の帰結として加害側の市民にさせられた者が、戦争責任という重い課題を自ら引き受けて、自分と自分が属するこの国の歴史に向き合う努力であった。国民国家日本が犯した戦争犯罪の追及は、国民国家の法的責任を徹底的に追及することから始める以外にない。その追及のための調査、事実の確定、法理の解明によって、国民国家の戦争犯罪の総体をとらえ返し、国民国家を乗り超える思想の領野が見えてくるであろう。こうした努力を放棄したまま、<わたし>は国民国家を超えているなどと能天気なお喋りにふけるのは実に恥ずべきことである。

アジアと日本

 日本が東アジア各地で犯した戦争犯罪の傷は今もなお各地で疼いている。「慰安婦」だけではない。強制連行・強制労働、南京などの大虐殺事件、七三一部隊などの生体実験、毒ガス等々。被害を訴えられないままの事件も残されている。戦後補償運動はその疼きを少しでも和らげるための民衆の運動である。
 また、戦後も日本のアジア蔑視は連綿と続いている。在日朝鮮人に対する差別。外国人労働者に対する差別。アジア女性の人身売買と強制売春。アジアの自然環境破壊。今日の日本とアジアの関係は日本資本主義の経済発展のための搾取を基礎にしている。
 一世紀を超える日本とアジアの歴史は、日本による植民地支配、侵略、占領、虐殺、差別、搾取の歴史という面をもつことは否定できない。この抜きさしならない関係史を前にしながら、日本国家の戦争責任の解明を怠ったまま、アジアと日本の連帯を語ることはできない。過去を隠蔽した未来志向は、悲惨な過去の再現を招来しかねない。いや、戦後半世紀の差別と搾取は、すでに十分に悲惨な現実をもたらしている。
 戦後補償運動はこれとは違ったアジアと日本の関係を創り出そうとする民衆の運動である。アジアと日本の連帯を唱え、実現するためには、そのための条件づくりから始めなければならない。いま「慰安婦」被害者が最後の叫びを上げているこの時に、被害救済の運動と法理を構築することが必須の課題である。

「歴史」の語り方

 もちろん誰もが運動家でありうるわけではない。それぞれの生活条件に応じて、それぞれができる範囲で努力するしかない。運動に全面的にのめり込んでいける者もいれば、カンパをするのが精一杯の者もいれば、時々時間を工面して集会に参加する者もいる。戦後補償運動への向き合い方はさまざまである。
 戦後補償を初めとする歴史の語り方もさまざまでありうる。しかし、歴史の語り方がその人間の歴史意識や人権意識に規定されていることも明らかである。どの歴史をいかに語るかに、歴史意識だけではなく、人権意識のあり様が反映するだろう。
 歴史は民族の来歴であるとして自民族の立場のみを唱える偏狭なナショナリズムからの歴史の語り方もあれば、歴史は構成されるものであり実証主義には限界があるとして冷笑的に横やりをいれる語り方もある。こうした無責任な歴史の語り方についても本書で批判してきた。
 それでは私たちは今どのように歴史を語るべきであろうか。歴史学者として歴史を語るのではなく、戦後補償問題に関心を持ち、被害者救済に心を寄せている者が歴史を語るのであれば、おのずと平和と人権が基軸になるはずである。歴史学のための歴史ではなく、今を共に生きる者の歴史を語るのであれば、過ちを二度と繰り返さないために何をなすべきかが常に念頭に置かれるであろう。実際、戦後補償運動の現場ではこうした歴史が語られてきたのである。

 言い換えると、評論のための評論や、現実と向き合わない思想ではなく、いままさに被害を訴えている日本軍「慰安婦」被害者をはじめとするアジアの戦争被害者の救済のための理論と実践が求められている。被害者を置き去りにして、日本側の都合で勝手に既成事実を押しつけようとした国民基金が座礁に乗り上げた例が典型であるが、日本の戦争責任の追及は日本人自身の課題ではあるが、日本人だけの課題ではない。被害者の声にどのように答えるべきかが問われている。それは、空虚な<わたし>の問題ではなく、被害者に向き合うべき<わたしたち>の問題であり、その<わたしたち>が真に日本の戦争責任を解明し、補償を実現する中ではじめて加害者と被害者が同一の地平で、もう一つの<わたしたち>を形成する可能性を見出すことができるのだ。