「『慰安婦』問題と<粗野なフェミニズム>②」『統一評論』396号(1998年8月)
上野のうっかりミス
上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』には、理論的にも多くの疑問を提示せざるを得ないが、実は理論的に検討する意欲すらなくなるほど事実誤認が多く、しかもその事実誤認に基づいて他者を「批判」したり、根拠のない議論を展開している点でいっそう多くの疑問を感じざるをえない。かつて「記憶の政治学」に対して批判した際に、結論として次のように指摘した。
「上野の『記憶の政治学』の随所にちりばめられた事実誤認や歪曲は、その一つひとつをとっても看過しえない問題をもつ。しかし、『記憶の政治学』の最大の問題は、吉見や鈴木を中傷し、吉見らと日本型歴史修正主義を同列に並べ、国際条約に依拠した議論や人権論を封じ込め、それによって被害者救済の法的根拠から目をそらさせる役割を果たしていることにある。」
「記憶の政治学」を『ナショナリズムとジェンダー』に置き換えても、何ら修正する必要を感じないのは残念なことである。
上海から重慶へと逃れて対日放送を行った長谷川テルを「北京放送」したことにしたり、編集者・中米研究者の太田昌国を沖縄県知事に「任命」したり、「国連人権会議」に「現代性奴隷制部会」なるものを「新設」したりする様は、上野の愛嬌といえなくもない。また、研究書を装うために註を付しているが、自分の論文「歴史学とフェミニズム」や編著『ジェンダーと女性』の出版年を誤記したり、「参照文献」に掲載されていないものがあったり(たとえば[Midgly1996]一八一頁)するのは、うっかりミスであり、人のことを笑ってはいられない。だが、自分で引用した文章の出典がわからなくなって編集者に探させたりしている様子を垣間見た者としては、笑わずにはいられないのも事実である。
上野の敗北主義
これらは単に笑い話で済むが、笑い話で済まないのは、例えば上野が次のように書いている場合である。
「法廷闘争に勝訴の可能性が小さい、と認めることは支援者の運動体にとって禁句となっている。『敗北主義』ととられるからである。」
いったこれはどこの話なのだろうか。「慰安婦」訴訟はもちろん勝つために提訴し、そのための最大の努力を払っているが、「支援者の運動体」は「勝訴の可能性が小さい」ことをリアルに認識している。そもそも日本の裁判所においては政府を相手にした訴訟では勝訴の比率が著しく低いこと、まして戦後補償裁判では圧倒的に敗訴で終わっていること、また法廷における裁判長の訴訟指揮が公平さに欠けることを「運動体」も弁護団も常に目にしてきたし話題にしてきた。このままでは「勝訴の可能性が小さい」からこそ「運動体」も弁護団も懸命になって新しい法理を模索し、新しい事実を求め、署名や裁判所への葉書作戦や、時には抗議のFAXを実践してきたのである。
「勝訴の可能性が小さい」と認めると「『敗北主義』ととられる」という記述には、上野の<敗北主義>が如実に現れている。「運動体」の現場では「勝訴の可能性が小さい」と認めることが「『敗北主義』ととられる」ということは考えられない。第一に、それがリアルな認識であれば、それをバネにさらに運動の工夫をするのが常識である。第二に、戦後補償運動自身もそうだが市民運動は裁判で大いに負けてきた。裁判で勝訴することに慣れていないほどである。だから「『敗北主義』ととられる」ことを心配する必要はない。こんな心配をするのは、現場を知らない上野が<勝訴の可能性が小さいことを認めることは敗北主義だ>と勝手に思い込んでいるためではないだろうか。上野は次のようにも書く。
「不利を承知であえて法廷闘争に持ち込むのは、勝訴のためと言うより、法廷での言説の闘いが公共的な空間にもたらす象徴的な効果を期待してのことである。」
法廷闘争は言説だけの闘いではない。また「大衆的裁判闘争」を知っていれば「象徴的な効果」などと言ってすますはずもない。
概念定義できない理由
上野はしばしば「思想」と称し「方法論」と称する。しかし、実証史学・実証主義の概念定義すらできないように、鍵概念を多義的に用いることが少なくない。実証史学以外ではたとえば「反省史」である。上野は次のように言う。
「ジェンダー史がポスト構造主義の諸潮流と共通して持っているこのような自己言及性・自己反省性をさして、わたしは『反省史reflexive history』と名づけた。反省の意味は、内省的であると同時に、自己言及的かつ自己批判的という意味をこめた。」
この通りなら特に問題は生じない。しかし、鈴木裕子を批判した際に、このような意味ではなく、日常用語の「反省」の意味をストレートに持ち込んで「反省的女性史」という用語を実に否定的なニュアンスで用いたのではないか。上野流の定義による「反省」と日常用語の「反省」との混同に見える。上野は、読者が勝手に混同したのだと言うかもしれないが、「記憶の政治学」は読者が混同するように書かれていたのではないか。
次に「戦争犯罪」と「犯罪」である。上野は『ナショナリズムとジェンダー』の末尾で次のように言う。
「『慰安婦』問題が突きつける問いは、たんに戦争犯罪ではない。戦争が犯罪なのだ。」
上野はこの一節がよほど気に入っているらしく『週刊読書人』九八年五月一日号でも次のように述べている。
「予期していなかった結論ですが、そこまで行っちゃったんです。書いているうちに、論理の力でというか、勢いでというか、行っちゃった。『慰安婦問題』について、『戦争犯罪である』という言い方はしばしば行われてきました。その言い方のどこかには『きれいな戦争』『正しい戦争』という前提があるんですね。犯罪を伴わない合法的な戦争はある、という信念群を反対派の人々でさえ捨ててはいないように見えます。」
ここにも概念の混乱と論理の飛躍がある。
第一に、「慰安婦」問題について「戦争犯罪」という場合は「人道に対する罪」や「狭義の戦争犯罪」の意味で用いられている。「慰安婦」問題について「性奴隷」という場合は奴隷条約に違反する事態としての性奴隷を意味している。上野は国際条約に依拠した議論を否定するが、現に国際社会でも日本国内でも、この意味で用いられてきたし、今も用いられている。「戦争犯罪」とは国際人道法(戦時国際法)に規定された概念である。そして、上野は、国際条約とは異なる上野自身の「戦争犯罪」概念を提示していない。
第二に、「戦争が犯罪なのだ」という場合、この「犯罪」はどのような水準の概念だろうか。明らかに国際人道法の水準の概念ではない。まして国内刑法の水準でもない。つまり、上野は、水準のまったく異なる概念を並べて、意味のない指摘をしたにすぎないのである。
第三に、「戦争が犯罪なのだ」という主張を批判しているのではない。たしかに戦争は「犯罪」として理解されるべきだ。しかし「戦争は犯罪だ」という思想は、まさに戦後平和主義そのものである。日本国憲法前文及び九条は単に「戦争は犯罪だ」と言うだけでなく、戦争による恐怖や欠乏を解明し、平和思想を展開している。平和運動はこれを平和的生存権として発展させてきた(前田朗『平和のための裁判』参照)。戦後補償運動が平和運動と重なっていることは、人的にも思想的にも改めて説明するまでもなく明らかなことである。ところが、上野は半世紀におよぶ平和主義と平和的生存権の歴史をまったく無視して、「予期してなかった結論」などと、さも新しげに述べる。しかも「戦争が犯罪なのだ」と題目を唱えるだけで、中身は何もない。にもかかわらず「合法的な戦争はあるという信念群」などと勝手な理屈で他者に難癖をつける。
以上のように、上野は自分が論理を進める際の鍵概念について概念定義をしない。というよりも明らかに概念を混同し、時と場合によって多義的に用いている。「実証史学」「反省史」「戦争犯罪」のいずれを見ても、概念の混乱が論理の飛躍に結びついている。すべての概念を厳密に定義するなどということを要求しているのではない。少なくとも鍵概念は定義を明らかにする必要がある。しかし、上野はそれだけはしないように見える。
上野が概念定義をしないことには、すでに定評がある。例えば江原由美子は「私は、上野氏の『物質』、『物質的基盤』、『物質的基礎』、『唯物論的分析』等の言葉の使用法は非常に粗雑であり、非常に一般的な概念において使用されたり、非常に限定的な意味において使用されたりしている……あまりにも乱暴であり過ぎ、理論的対話にはほとんど寄与できないと思う」と述べる(『装置としての性支配』)。森田成也は、上野を含めた家父長制概念を批判的に検討し、概念の混乱を整理している(『資本主義と性差別』)。大越愛子は、上野の「戦略の一つに、概念を華麗に操るが、その意味内容に決して明確な定義を与えないというのがある」と指摘する(『女性・戦争・人権』創刊号)。なぜこのようになるのか。それを知るためには、さらに上野の主張内容に立ち入る必要がある。