『都市叙景断章』(河出書房新社、1989年)
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本書も初めて読んだ。装幀は高麗隆彦で、私のかつての同僚だ。
<それはこの時代の奇跡の始まりなのか>
<夜明けの都市に失われた記憶をたどる哀切なレクイエム>
装画として、ピラネージ『牢獄』が使われている。砂の都市・東京。紫色の夜明け。公園ベンチの失業者。首都中心部にある空洞としての西洋式公園。北側の封建時代の城。北方の山岳地帯へ続く16本のホーム。記憶を失った語り手が高層ビルの窓硝子を拭く大都会の「牢獄」イメージが積み重ねられる。
かろうじて蘇ってきた4つ記憶の断片。
1つは、1968年10月21日、「国際反戦デー」と呼ばれた日の、国会前デモ。螺旋階段を降りた喫茶店で流れるアルバート・アイラーのChange has com。
2つは、1969年9月5日、H野外音楽堂における全国全共闘連合結成集会。
3つは、1970年代初頭、雪の山岳ベース建設に協力した語り手たちが一瞬垣間見た悲劇への端緒。
4つは、1972年2月の新聞記事。
こうして語り手は、連合赤軍事件と呼ばれた事件への滑走路を自分もたしかに横切ったことを思い起こす。
そして、真昼子、MAHIRUKO。
語り手の姉であり、かつての恋人であり、あるいは単なるクラスメートだったかもしれない女性の美しい顔の記憶。
時代を共有し、事件にともに立ち会い、その場にいたはずの彼女が、南島でひっそり生きる在日朝鮮人の老婆の付き添いボランティアとして生きている、かもしれない。
連合赤軍事件の12人の犠牲者リストには加えられなかったその名前。
1972年の最後の脱出者ともいうべき者。
1980年代の最後の年に、記憶を失った語り手がTVに一瞬だけ確認した真昼子の顔。
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『パルチザン伝説』以来、激動の時代の学生の<叛乱>を題材としながら、歴史と神話と伝記の謎に挑んできた桐山だが、その作風は常に「叙情的」と批評されてきた。積極面としても消極面としても使われた「叙情的」。これに反論するかのごとく、桐山は「都市叙景断章」を提示した。
だが、<哀切なレクイエム>。誰のためのレクイエムだっただろうか。