Wednesday, January 22, 2020

星野智幸を読む(1)現実と妄想がスパークする


星野智幸『最後の吐息』(河出書房新社、1998年)



1997年の第34回文藝賞受賞作で、星野のデヴュー作だ。当時読んでいないため、初めて読んだ。表題作及び「紅茶時代」の2作品が収録されている。

宣伝惹句に「わたしは密にして、ナイフ――鮮烈な色・香・熱にむせぶメキシコの陶酔」とあるように、199192年と9495年にかけてメキシコシティに私費留学した経験を踏まえて、現地の街、風土、人々を素材に、独特の文学世界を構築している。現実と妄想の入り混じった文体が魅力的だったことが受賞理由だろう。

冒頭から、メキシコ、ハチドリ、ハイビスカス、ブーゲンビリア、トカゲ、グアバ、ベゴニア、タンゴという単語が乱舞する。大半を占める作中作の主人公――「蜜雄と名づけられた蜂鳥家の長男」は水泳選手になって10歳で日本記録に迫り、中学で記録を塗り替えたが、大学で水泳と縁を切り、メキシコの市場で手にした金の魚細工に引き込まれ、金細工づくりを業とするようになる。メキシコにおける革命運動の旗手も金細工で名を成していたという設定で、主人公はメキシコの民衆世界を疾走することになる。女、セックス、革命という舞台装置はありきたりだが、日本ではなくメキシコのため、違和感の相乗効果というか、現実=妄想文体の効果というか、新しい文学世界を感じさせる。乱痴気騒ぎのファルスと男根のファルスが行き違い、革命万歳が狂熱の空を揺るがす。その果てに何が起きるのか。何も起きないのか。



ここ数年、井上ひさし、大江健三郎、目取真俊、桐山襲を読み返してきた。井上ひさしについては、前田朗『パロディのパロディ――井上ひさし再入門』(耕文社)にまとめた。大江、目取真、桐山についてはこのブログに書いてきた。

今年はだれを読もうか、去年のうちに決めておきたかったが、決めていなかった。小田実も読み返さなくてはいけないし、夏堀正元も読みたい。サイードやアーレントもまとめて読みたい。内外に読むべき作家、思想家がたくさんいるが、時間は限られている。多忙な中、作品の多い作家を数年間読み続けるのは大変だ。一年で読める作家にしようかなどと悩んでいたが、年も明けたので、星野智幸を選んだ。

1997年のデヴューだから作品がそう多いわけではない。調べてみると、単行本は20数冊だ。社会派というか、リベラル派(にはいろんな意味があるので、こう単純に決められないが)というか、硬派というか、この時代にこうした面での評価の高い作家の代表と言えるだろう。

それに『ファンタジスタ』は読んだが、他は全く読んでいない。新聞・雑誌に掲載されたエッセイをいくつか読んだ記憶があるのと、反ヘイトの本、中沢けいの『アンチヘイト・ダイアローグ』に収録された対談を読んだ程度だ。つまり、星野智幸をほとんど知らない。もっと早くに読んでおくべき作家だったのではないかと思い、今年の作家に決めた。



星野は1965年、ロサンゼルス生まれ。早稲田大学文芸科を卒業し、産経新聞記者を経てメキシコシティ留学。19962000年、太田直子に師事して字幕翻訳。97年、「最後の吐息」で文藝賞受賞、2000年「目覚めよと人魚は歌う」で三島由紀夫賞、『ファンタジスタ』で野間文藝新人賞、2011年『俺俺』で大江健三郎賞、2015年『夜は終わらない』で読売文学賞、2018年『焔』で谷崎潤一郎賞。この間、何度か芥川賞候補になったが、2007年に卒業宣言をして芥川賞の対象外になることを選んだという。