Sunday, November 22, 2020

マルクスのエコ社会主義と<コモン>

 斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)

新型コロナのためオンライン授業に追われて、他のことがなかなかできない。講演会はキャンセルになり、遠出も控えてきた。秋になって、参加したい市民集会が徐々に開かれるようになってきたが、まだ参加できていない。八王子で自宅と勤務先の往復にとどめている。

研究も読書もなかなか手につかない。連載原稿だけは何とかこなしてきたが、それ以上のことはできずにいる。

そうした中、話題の1冊をようやく読んだ。「気候変動、コロナ禍…。文明崩壊の危機。唯一の解決策は潤沢な脱経済成長だ。」という宣伝文句。ポイントは「潤沢な脱経済成長」だ。その意味は本書で何度も繰り返されているが、資本主義は希少性を重んじ、貧困を生み出す。使用価値と価値の対立をいかに超えていくか。晩年のマルクスにそのカギがあるという。

著者は1987年生まれの経済思想研究者で、エコロジーとマルクス主義の双方に詳しく、なおかつ晩年のマルクスの手稿を研究して、そこから得た知見を前著『大洪水の前に』で展開した。その上に立って、次のステップに挑んでいる。

冒頭から「SDGsは大衆のアヘンである!」と厳しい突っ込みだ。気候変動と帝国的生活様式の関係を暴き出し、これに対処しようとする気候ケインズ主義の限界を指摘する。成長を本質とする資本主義システムでは脱成長はできないという。そこから晩期マルクスの思想の解明に転じたうえで、「欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム」論を打ち出す。論旨は明快であり、魅力的な1冊だ。

潤沢なコミュニズムへの道が、一件ローカルに見えるコミュニティや地方自治体、社会運動のつながり、「生産の<コモン>化、ミュニシパリズム、市民議会」であり、「ワーカーズ・コープでもいい、学校ストライキでもいい、有機農業でもいい」という。地方自治体の議員、環境NGO、市民電力、労働組合、という話なので、拍子抜けしたが、3.5%の市民が本気で立ち上がれば、社会変革は可能だという。設計図はないが、いちおうの青写真は著者の頭の中にあるのかもしれない。次著も楽しみだ。