Thursday, November 26, 2020

兵役拒否をあらためて考える(2)

市川ひろみ「良心に基づいて命令を拒否する兵士たち」京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』33号(2020年)

http://repo.kyoto-wu.ac.jp/dspace/bitstream/11173/3075/1/0160_033_010.pdf

ドイツ連邦軍では、「制服を着た市民」という位置づけの下、「共に考えてなす服従」を認めている。兵士が、良心に反した行動を強いられない権利を保障しようとするものであり、兵士には違法行為をなさない責任があり、政策の最終執行者である兵士自身が、国家行為を監視する契機ともなるという。

その実際はどうなっているのか。市川は自らの良心に基づいて命令を拒否した事例、現役の兵士に対し命令ではなく自らの良心に従って行動する権利を認めた連邦行政裁判所の判決を紹介・検討する。

フローリアン・プファフ少佐の場合、時間はかかったが、裁判を通じて「共に考えてなす服従」が認められた。画期的な判断と言える。他方、クリスティアーネ・エルンスト-ツェットゥル及びフィリップ・クレーファー中尉の場合は、「共に考えてなす服従」が認められたとは言えないという。

市川はさらに、イラク戦争における、エーレン・ワタダ米陸軍中尉と、マルコム・ケンドール-スミス英軍軍医の事例も検討する。

市川は次のように結論付ける。

「ドイツ連邦軍の指導理念である「制服を着た市民」は、兵士であるからこそ、「悪をなせ」と命令された時には「市民」として責任ある行動を取ることを求めている。これは、人類が長く続いた惨禍の歴史から、二つの大戦を経てようやく学び取った理念である。たとえ形式的には「合法的」になされた命令であっても、それが違法・不正である場合には、兵士はその命令に従ってはならない。そのことは、兵士自らが所属する組織の意思決定に参加することでもある。しかし、「制服を着た市民」による「共に考えてなす服従」を実践した兵士の権利が認められたのは、連邦行政裁判所のプファフのケースのみである。連邦軍の命令拒否者への態度は、この理念をないがしろにしていると言わざるを得ない。」

重要な指摘だ。

韓国の兵役拒否に関連して、国際自由権規約第18条の良心の自由に抵触するとの訴えが国際自由権委員会に出され、勧告も出ていた。たしか、Center for Military Human Rights Koreaや国際友和会IFORがレポートを出していた。他方、今年はヒップホップグループのBTSメンバーの兵役の特別免除がニュースになった。最近の動きをフォローしている研究者がいると良いが。