Wednesday, June 30, 2021

ヘイト・スピーチ研究文献(177)f インターネットとヘイトスピーチ

中川慎二・河村克俊・金尚均編『インターネットとヘイトスピーチ――法と言語の視点から』(明石書店、2021年)

河村克俊「ヘイトスピーチと互恵性原則」

著者はヘイト・スピーチを互恵性原則に照らして考える。「互恵性は『平等』に通じる基本的原則であり、この原則を基礎づけるのは誰もがもつ人間の『尊厳』である」。著者はドイツでの議論を参照する。ヘイト・スピーチの定義をいくつか紹介しているが、人種的嫌悪、敵意、反ユダヤ主義をはじめとする不寛容な言語表現であり、「ヘイトスピーチは暴力である」という見解を紹介する。

独逸におけるヘイト・スピーチの事例を崩壊した上で、著者は言論の自由との関係に進む。公正な議論を通じて民主主義社会が成立するので、言論の自由は不可欠の原理である。だが無制限ではない。言論の自由は何でもありの自由ではなく、他者の尊厳や名誉を尊重しなければならない。そうでなければ、互恵性がないことになる。尊厳や互恵性を著者はその専門であるカント哲学に基づいて詳説する。カントの「黄金律」そして「定言命法」に遡る。

「あなたの人格のうちなる人間性を、またどの他者の人格うちにもある人間性を、常に同時に目的として扱い、決して単なる手段として扱わないように行為しなさい。」

著者は、ヘイト・スピーチが被害者の人間の尊厳を攻撃する点だけではなく、加害者の人間の尊厳を自ら損なうことに注目する。

「自らを目的として扱おうとする限り自己に対してふりかかるヘイトスピーチはあらゆる手段を行使することでこれを退けねばならない災厄である。憎悪に満ちた言葉の暴力は私たちの自己意識を苛み、自身の能力の開発どころか自分であろうとすることすら困難にする。したがってこれを退けることは自分自身に対する義務となる。換言すれば、もしそのヘイトスピーチの暴力によって私たちが自らの生きようとする意欲を否定するほどに傷つくならば、この暴力を排除することと同時に、自らを維持することが自分自身に対する道徳的義務となる。」

哲学的な互恵性理解に立ってヘイト・スピーチの本質を明らかにする試みであり、傾聴に値する。

私は「ヘイト・スピーチは社会を破壊する」と主張してきた。被害を生むだけではなく社会の存立にとって妨害となるからだ。ヘイト・スピーチは民主主義に反し、民主主義を破壊する。民主主義を守るためにはヘイト・スピーチを処罰するべきである。表現の自由を守るためにはヘイト・スピーチを処罰するべきである。国際常識であり、このことを10年以上主張してきたが、日本の憲法学者からはほとんど賛同が得られない。日本の憲法学は「マイノリティに対するヘイト・スピーチの自由」を必死で擁護するが、これは「日本人の特権」を主張していることでしかない。互恵性と尊厳の理解を参照して、さらに説得していく必要がある。