Tuesday, June 08, 2021

黒川検事問題から見た検察官僚制論

岡本洋一「検察官の経歴・人事についての一考察――黒川東京高検検事長定年延長・検察庁法改正問題に寄せて」『熊本法学』151号(2021年)

賭けマージャン黒川問題は日本の恥と闇のあられもなさを見せつけた。笑うしかない、くだらない出来事だが、笑って済む話ではない。岡本は、黒川個人の資質の問題としてではなく、検察官僚制の根幹を貫く制度論的問題を直感し、これを理論的に整理し直すために、検察官の経歴・人事の実証研究を始めた。

検察官の個々の人事異動を「点」とし、その経歴・キャリアを追うことで「線」を浮き彫りにし、さらに「面」としての検察庁・法務省という組織に迫る。

裁判官については『裁判官経歴総覧』をはじめとする詳細な研究の積み重ねがあるが、検察・法務については同様の研究がない。そこで岡本は、裁判官経歴研究の手法を学びつつ、官僚制研究の成果にも目を配りながら、検察・法務省論の輪郭を想定しつつ、まずは辞任に追い込まれた黒川弘務、検事総長になった林真琴、最高検次長検事の落合義和の3人の経歴をチェックする。

黒川の場合、東京地検検事、法務省大臣官房参事官、大臣官房司法法制課長、大臣官房参事官、刑事局総務課長、秘書課長、大臣官房審議官、松山地検検事正、法務省大臣官房付、官房長、法務事務次官を経て、2019年に東京高検検事長になった。そのままで終わるはずだったのに、安倍政権が、黒川を検事総長にするために、定年延長を図るなど裏工作で人事を捻じ曲げたことが社会・政治問題となり、その騒ぎの渦中、賭けマージャン問題が発覚して首が飛んだ。

岡本は、林や落合の経歴、歴代の検事総長である稲田伸夫、西川克行、大野恒太郎、小津博司らの経歴も辿る。その特徴は、任官が20代前半であり、40代以降は東京勤務が長く、半数以上が法務省関連、短期間で次々とポストを移動し、出世していく。東京高検検事長、法務省刑事局長、法務省大臣官房長と検事総長の相関関係が分析される。その上で、黒川の個性・特殊性と、にもかかわらず黒川の検察官僚としての一般性を確認し、検察・法務官僚制論の課題を明確にする。ポイントとなるのは、「訴追権限を行使する刑事裁判の担い手としての検事」と、他方、訴追にはほとんどかかわらず、「法務省において政策立案・法案策定に関わり、そこから政治の中枢に奉仕していく行政官僚としての検事」=「検察官らしくない検察官」「行政官としての検察官」の関連である。法務省からさらに内閣官房に登用されていくコースの意味が焦点となる。「司法官と行政官の二重性」を切り口に黒川問題を再検討することになる。

一部のエリート検察官僚が、刑事裁判の担い手としてではなく、国家統治の中枢部で政治家に奉仕する。特段の知性も教養も国家構想も持たない彼らが、国家統治の枢要を握るためには、まさに黒川のように、権限を捻じ曲げることで政治家におもねるしか方法がない。権力の私物化は必然である。黒川でなくても、どの検察官であれ同じ立場に立てば同じことをするしかない。考えてみると、巨悪におもねり、こびへつらうのは検察の伝統である。かつて伊藤榮樹が「巨悪を眠らせない」と言いながら巨悪にこびへつらい、小悪だけを追及してきたように、検察の正しい伝統は巨悪にこびへつらうことで政権に奉仕することである。黒川は伝統の正当な継承者にほかならない。奉仕した相手が悪すぎただけだ。

裁判官人事と異なり、検察官人事については従来、実証的な研究がなかったため、岡本はこれに手を付けたが、まだ検事総長経験者等の一部の経歴を追跡したにとどまる。これをさらに広げることでより説得的な説明が可能となるだろう。その際、追加していくべき論点が多々あると思われる。例えば、これまでの検察研究では公安検察と経済検察の対抗が論点となってきた。現在の検察分析にとってこの視点は無用なのだろうか。また、検察から内閣官房への登用を分析するのであれば、検察以外(特に警察庁)からの内閣官房への登用も比較検討の素材にしなくてはならないだろう。