中川慎二・河村克俊・金尚均編『インターネットとヘイトスピーチ――法と言語の視点から』(明石書店、2021年)
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中川慎二「常態化したヘイトスピーチの恐怖――コミュニケーション・ジャンルからの考察」
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冒頭に簡潔な要約がなされている。
「ヘイトスピーチの持つ恐怖と扇動について、言語コミュニケーション研究の立場から議論したい。最初はオーストリアで常態化した恐怖の政治について言及し、次にヘイトスピーチの定義に触れ、ルックマンのコミュニケーション・ジャンル理論からヘイトスピーチの分析を試みる。ルックマンのコミュニケーション・ジャンル理論に含まれる内構造、外浩三、場面実現構造をヘイトスピーチの例から解き明かし、場面実現構造の内容を、フォン・トゥーンのコミュニケーション・モデルとワツラーヴィックらの5つの格率から考察する。また、コミュニケーションのメディア性に触れたのちにヘイトスピーチの背景にある制度内で慣例化した人種差別について議論する。」
50頁弱の論文で、結構長いが、多くは上記のコミュニケーション・ジャンル理論やその元になった理論の解説である。知らないことばかりだったので、勉強になった。理論の解説の際に、日本での会話の実例が多数活用されていてわかりやすい。日本のヘイトの現場の状況を言語論的に分析しているところも興味深い。
ハイムズのスピーキング・モデル、ルックマンのコミュニケーション・ジャンル理論、フォン・トゥーンのコミュニケーション理論、ワツラーヴィックらの5つの格率などを活用した分析は面白いが、きちんと理解できたかどうかはわからない。
最後に「差別の意匠」として「制度内で慣例化した人種差別とスーパーダイバーシティ」を論じている。インターネットでは「個人としてのレイシズムと制度としてのレイシズムとがインターネットの中で複雑に絡み合っているのだ。そして、場合によっては個人としてのレイシズムの確信もないままにSNSの書き込みを行い、制度としてのレイシズムに『のっかり』ゲームのように人種差別をするSNSユーザーが現れたの得ある。彼らは新自由主義という背景の中で、社会の主流の中に存在しながら、少数者をいわゆる権謀術数理論によって誹謗中傷する。」という。納得である。
個人としてのレイシズムと制度としてのレイシズムをどのように関係づけて分析するのか、私自身、課題を意識してはきたが、まだまだ模索中なので、参考になった。