Saturday, October 22, 2022

ヘイト・スピーチ研究文献(209)法と言語

橋内武「ヘイトスピーチの法と言語」『社会言語科学』第202号(2018)

社会言語学を研究し、法と言語について関心を持つようになった橋内は、2016年から17年にかけて、法と言語学会、人間文化学会、韓国言語研究学会などでこのテーマの報告を続け、20179月の社会言語学会(関西大学)で「総集編」として本稿のもとになる講演を行ったという。

1.はじめに

2.法律のことば

3.ヘイトスピーチ解放賞の言語的特徴

4.ヘイトスピーチ解消法―成立の経緯と問題点

5.考察とまとめ

橋内は1966年から社会言語学の研究をはじめ。民族意味論。談話分析や言語教育政策などを研究し、法と言語も研究してきたという。私の知らない分野なので、興味深い。

「2.法律のことば」で、橋内は法律の言葉をテクスト構造・用字・表記・用法・文構造・意味・文体に即して検討すると日常語から酷く乖離していると確認する。法律の名称や、条文の書き方も独特であり、ヘイトスピーチ解消法も独特の焦点化や抽象化を行っている点で特徴的だという。なるほどと思う。

「3.ヘイトスピーチ解消法の言語的特徴」では、法令は冗長で複雑であり、書き換え可能だとし、一例として、谷口真由美の『日本国憲法 大阪おばちゃん語訳』に準拠して、「そんで、こないいけずで、のけもンにすることばや行いをあれへンようにするよう、うちらはこのきまりを創るねン」と提示する。

「4.ヘイトスピーチ解消法―成立の経緯と問題点」では、日本近代の特質としての植民地帝国、在日コリアン小史、「在日特権」というフレームと虚構、社会的事実――在日コリアンに対する民族差別、立法事実を手堅く確認したうえで、立法化の経緯も確認し反人種差別法と表現の自由について検討し、解消法の限界として2つの疑問を提示する。

1つは、「理念法ゆえ、禁止条項も罰則もない努力義務規定である」。

2つは、付帯決議では人種差別撤廃条約に近い考え方なのに、法律に反映していない。

「5.考察とまとめ」では、時代状況はヘイトスピーチの実態を再確認したうえで、「法と言語の交錯」を取り上げる。

1つに「名宛人と動詞句」として、「本法は理念法であるから、禁止規定と罰則がなく、名宛人(主語)による責務、弱い義務または努力義務(動詞句)を謳っている。一つとして『⃝⃝をしなければならない』とする強い義務規定がない」という。

2つに「法と言語の交錯」として「不法な差別的言動の言語学」と呼び、「不当な差別的言動は言語行動+非言語行動+象徴的表現の3要素からなる」という。その内容について「今後語用論・メタファー論・語彙意味論や批判的言語学などの観点からの研究が進むことが期待される」という。

今後の課題としてさらに4点指摘している。

1つは、「行政上は、各地の自治体でヘイト・スピーチ解消に向けた条例がつくられるべきであろう」。

2つは、「人権教育の課題としてヘイトスピーチとその解消法」を取り上げること。

3つは、「人種差別撤廃条約の国内法としての人種差別撤廃基本法を成立させるべきであろう」。

4つは、「言語学の社会貢献としては、『法と言語』に関する研究の推進が期待される」。

本稿の表題から、ヘイト・スピーチの具体例を取り上げて、その内容を分析するのかと思っていたが、そうではなく、ヘイト・スピーチ解消法の構造を分析する法に力点が置かれている。註や文献を見ると、ヘイト・スピーチの悪質性や差別性の分析はこれまでに他の論者によってすでになされているので、橋内としては「法と言語」の分析に注力したようである。納得。

今後の課題は、一般的に「『法と言語』に関する研究の推進が期待される」とされているが、具体的にどのような研究になるのだろうか。

ヘイト・スピーチ解消法の言語的特徴が指摘され、複雑性や限界が指摘されているところを見ると、今後は、具体的な適用事例を分析することによって、法文が必ずしも適切ではないがゆえにその適用にも限界が見られることを示す方向になるのだろうか。