3 法の下の平等――憲法第一四条
日本国憲法第一四条第一項は「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と定める。
この規定は、「国民」が差別されないことを規定しているが、ここにいう「国民」はつねに日本国籍保持者に限定されるものではない。国政選挙権のように、事柄の性質上、日本国籍保持者に限定される場合を除いて、日本国籍保持者以外にも法の下の平等は適用される。
また、国民が「差別されない」ことを明示しているが、政府による非差別の保障がどこまで義務的であるかについての見解は多様でありうる。政府が積極的に差別を行った場合には政府の行為が違憲であると判断されることがありうるが、政府が社会的差別を是正できなかったからと言って直ちに政府の責任が問われるわけではない。しかし、社会的差別による被害が生じていることを知りながら、長期にわたってそれを是正する措置を講じることなく、差別を放置していれば、政府の責任が問われることがある。
なお、「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」が明記されているが、これは限定的列挙ではなく、例示的列挙であると理解されている。人種、信条等に類比できる事柄に基づいて不合理な差別を行うことも禁止されており、例えば民族もここに含まれると理解するべきである。
法の下の平等の意味について、佐藤幸治は「元来平等は国家による不平等な取扱いを排除するという自由権的文脈で捉えられていた」としつつも、次のように述べている。
「しかし、上述の平等観念の変容とも結びつきながら展開してきた現代積極国家にあって、国家は自ら差別してはならないだけでなく、社会に事実上存在する不平等を除去しなければならないという、積極的ないし社会権的内容を盛り込んで平等権を捉えようとする考え方が強くなってきた。そして、このことと関連して、社会の中の根強い差別意識のため、通常の社会経済的過程から疎外されている者が存すると認められる場合に、国家は、その者の平等を保障するための措置をとる義務を負うとともに、その者を通常の過程に参与させるために必要やむをえないと考えられるときは、一時的にその者に対して一般の人に対すると異なる特別の優遇措置を講ずることが求められるという考え方が登場する。」
辻村みよ子は、形式的平等と実質的平等に関連して、次のように述べている。
「しかし、上記のように、平等の観念自体に変化が生じ、実質的平等保障の要請が強まっていることによって、一四条にも実質的平等の保障が含まれると解することも妥当となる。ただし、実質的平等をも保障していると理解する場合にも形式的平等の原則が放棄されたわけではない。理論上はあくまで形式的平等要請が原則であり、法律上の均一的な取扱いが要請されるが、一定の合理的な別異取扱いの許容範囲内で実質的平等が実現されると解するのが筋であろう。」
ここでも、第一三条と同じ構図で考えることができる。誰もが法の下に平等であって、差別されない権利を有している。日本において人種その他の理由による差別を許さないことの中核には、かつて日本の戦争とファシズムによって被害を受けたアジアの人民が含まれるのが当然である。このことを抜きに憲法第一四条を解釈してはならないだろう。憲法第一四条は、アジアの人民が日本で「ヘイト・スピーチを受けない権利」の根拠である。
憲法教科書では、法の下の平等と言うと、貴族制の禁止、外国人差別の禁止(たとえば政治活動や参政権問題)、部落差別問題などを論じるが、かつて日本の戦争とファシズムによって被害を受けたアジアの人民に対する差別にはほとんど言及がない。これは奇妙なことである。大日本帝国憲法には人種や民族による差別を禁止する規定はなかった。日本国憲法には人種や民族による差別を禁止する規定が盛り込まれた。それはなぜなのかを考えれば、アジア人民が差別されない権利、ヘイト・スピーチを受けない権利こそ、日本国憲法の中心論点のはずだ。
アジアの人民が日本でヘイト・スピーチにさらされないように特別の措置を講じることは、それ以外の人々に対する逆差別になるという反論は適切ではない。かつて被害を受けた人々であり、現在も日本社会において圧倒的に少ないマイノリティ存在(外国人人口は日本の人口の1~2%レベル)であり、被害を受けやすく、現に被害が生じているからである。