金尚均編『ヘイト・スピーチの法的研究』第6章「言論規制消極論の意義と課題』(小谷順子)は、第5章「表現の自由の限界」に続いて、ヘイト・スピーチ規制に消極的な意見が多いのはなぜなのかと問う。議論の前提として、ヘイト・スピーチの定義の困難さ、とりわけ憎悪の対象となる集団の属性についても多様性がありうるので、規制対象の限定の困難さがあることを確認している。
その上で、アメリカにおける規制消極論の背景を論じ、伝統的なリベラル派による消極論と、保守派による消極論が並立混在していると見る。伝統的な規制消極論は、表現内容規制に対する警戒感に由来する。恣意的な立法のおそれ、恣意的な運用のおそれ、そして規制乱発のおそれである。さらに、政治的言論の規制に対する警戒感も見られる。
他方で、1980年以降に登場したポリティカル・コレクトネスPCへの反発もある。保守派はアファーマティヴ・アクションやPCに反対するようになり、PC論争の激化に伴ってリベラル派にも戸惑いが広がった。
もう一つ、規制効果価に対する懐疑論に基づく規制消極論がある。実際に規制できる範囲は僅かであれば、それだけの効果のためにわざわざ立法が必要かと言う問題である。規制の副作用の検討は、規制がマイノリティに適用される恐れにも及ぶ。
小谷はアメリカの議論状況を紹介・検討したうえで、だからと言って、ヘイト・スピーチの拡散を放置すべきという意味ではないと言う。アメリカにはヘイト・スピーチ処罰法はないが、何もしていないわけではない。
「ヘイト・スピーチをピンポイントで規制する立法こそ設けていないものの、人種的な動機で遂行された犯罪に刑罰を加重するヘイト・クライム法は現在も存在している。また、連邦の市民的権利に関する法律は、不特定多数の利用する施設における人種差別を禁じている。さらに、こうした立法に加え、政府も人種差別や宗教差別の解消をめざすメッセージを積極的に発信している。つまり、アメリカは、表現規制こそは避けているものの、それ以外の様々な施策を通して、人種的な偏見の解消に努めるとともに、こうした憎悪や偏見がマイノリティの社会生活に支障をきたすという事態を防止することに努めているのである。」
ヘイト・スピーチ論議では必ずと言ってよいほど、アメリカでは処罰しないことが語られる。アメリカ以外の状況を無視する論者が多い。小谷はこれまでの論文で、アメリカやカナダの状況を紹介しつつ、アメリカの議論の変遷を詳しく辿り、その意味を探ってきた。そして、具体的な問題解決のために、アメリカの議論のどの部分に学ぶべきかを示そうとしてきた。その延長に本論文がある。