大江健三郎『厳粛な綱渡り』(文藝春秋、1965年)
高校時代に図書館で手にしたが、なにしろ上下2段組み500頁、22歳から29歳の大江の全エッセイだ。分厚いし、内容も高校生には歯が立たない。読んだのは大学3年ごろ、図書館の開架式書庫だった。全6部で、第1部が戦後世代のイメージ、第2部が強権に確執をかもす志、第3部が文学とは何か、第4部が性的なるもの、第5部がルポルタージュ論、第6部が芸術・ジャーナリズムに関するコラム、だ。大江小説のテーマと直接関連することは言うまでもない。
戦後世代のイメージをめぐる考察は、1960年代すでに「過去と現在」をめぐる争点だったが、その後も戦後民主主義をめぐるこの社会の分裂が続く。それは今日まで姿を変えて継続している面がある。「戦後は終わった」と政治的に決定しても、終わらない戦後が終わった、という表象がつきまとってきた。そして、大江は現在に至るまで戦後民主主義のチャンピオンである。大江の影響を受けた多くの青年たちが、いまなお戦後民主主義の実現と克服の課題に取り組んでいる。
「強権に確執をかもす志」ではじめて啄木のエッセイの意味を知った。それまで啄木は故郷を謳った歌人でしかなかったが、大江を通じて「時代閉塞の状況」をはじめとする啄木世界を知った。おかげでいまだに啄木の世界を彷徨っている。私の『非国民がやってきた!』及び『国民を殺す国家』(いずれも耕文社)の「非国民群像」の中心は啄木だ。秋水、啄木、多喜二、スガ、文子、テルをつなぐラインの中に私の非国民論がある。