大江健三郎『沖縄ノート』(岩波新書、1970年)
沖縄返還に日本が湧いていた時期に、沖縄の歴史を何も知らなかった私は本書に出会って初めて少しものを考えるようになった。沖縄へ行くのにパスポートが必要だった時代に、大江は繰り返し沖縄を訪れ、東京でも沖縄出身者との対話を重ねて、本書を書いている。大江は、1969年1月9日に東京で急死した沖縄県人会事務局長・古堅宗憲に「死者よ、怒りをこめてわれわれのうちに生きつづけてください、怯懦なる生者われわれのうちに怒りをかきたてつづけてください」と呼びかけつつ、「われわれの古堅さんの死を悼む心は、まさに恥の心にかさなるほどにも暗然たる、惨憺たる深みに沈みこまざるをえない」と繋ぐ。怒りと恥――沖縄に対する差別の実態を前に、古堅の怒りを共有しながら、同時にやまとんちゅの一人として恥なければならない。差別するやまとんちゅの一人から逃れられない以上、古堅の怒りを伝え、沖縄の人々の怒りを伝えるために彼の地を訪れ、人々に出会い、出来事を目撃し、聴き取るべきことを聞き、本土に伝えつづけなければならない。そうして大江は「日本が沖縄に属する」と喝破した。沖縄が日本に属するのではなく、日本こそが沖縄に属する。単なる逆転の発想ではない。核基地とされた沖縄に米軍戦略が依拠している以上、アジアの東に位置するべきは核基地・沖縄であって、日本はその附属物に過ぎない。その日本が沖縄を壟断し、差別する。
44年後の現在も状況は変わらない。本年8月20・21日にジュネーヴで開催された人種差別撤廃委員会に参加した糸数慶子・参議院議員は、琉球の民族衣装をまとって、人種差別撤廃委員に沖縄の現状を訴えた。その時、私を突き刺したのは、大江の最後の文章だった。
「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか、という暗い内省の渦巻きは、新しくまた僕をより深い奥底へとまきこみはじめる。そのような日々を生きつつ、しかも憲法第二二条にいうところの国籍離脱の自由を僕が知りながらも、なおかつ日本人たりつづける以上、どのようにして自分の内部の沖縄ノートに、完結の手だてがあろう?」
大江の沖縄ノートに完結がなく、今もなお大江が沖縄に向き合い、自分に向き合い続けていることは周知のことだ。
おそらく、140万の人々が国籍離脱の自由を行使して、私たちがパスポートを持って琉球を訪れる日がやって来るまで、私たちの「沖縄ノート」は恥の歴史を上塗りし続けるのだろう。差別しない日本人などというものを私たちが想像だにできない現状では。