Wednesday, October 15, 2014

クマラスワミ報告書について(3)

日本政府がクマラスワミ特別報告者に吉田証言引用部分の撤回を申し入れたと言う。ニューヨークで大使が面会して、申し入れをしたそうだ。「恥の上塗り」とはこのことである。日本政府自身が認めた内容を、18年後の今になって「撤回申し入れ」する神経が理解できない。
(1)事実経過
まず事実経過を確認しておく必要がある。日本のメディアでは、クマラスワミ報告書がどのようにして作成されたかを報じないため、クマラスワミ報告者が独断で勝手に報告書を作成したかのような誤解が生じている。
1993年、ウィーン世界人権会議で、国連人権委員会に「女性に対する暴力特別報告者」を設置することが決定される。
1994年、国連人権委員会でラディカ・クマラスワミ「女性に対する暴力特別報告者」が任命される。
1995年、クマラスワミ予備報告書提出。「慰安婦」問題を調査する意向を表明。これを受けて、日本政府がクマラスワミ報告者の訪問を受け入れる意思を表明。
1995年7月、クマラスワミ報告者、日本訪問(7月22日~27日)。日本政府、歴史学者、NGOなどから情報入手。
1996年1月、クマラスワミ報告者、「日本軍性奴隷制報告書案」を国連人権委員会事務局に提出。同報告書案は関係各国に交付された。もちろん、日本政府、韓国政府などに交付された。この時点ではまだ秘密文書である。
1996年4月、クマラスワミ報告者「日本軍性奴隷制報告書」、国連人権委員会で正式に公表され、審議の結果、満場一致で採択された。
(2)解説
国連人権委員会の特別報告者(死刑問題、拷問問題、人種差別問題など多数いた)は、そのテーマの調査に必要な場合に、相手国の招待を受けて調査のために訪問し、政府等から情報を入手して、報告書を作成する。クマラスワミ報告者は日本政府の招待を受けて、日本を訪問した。同様に韓国も訪問し、助手が朝鮮にも訪問した。
特別報告者が報告書案を国連人権委員会事務局に提出すると、事務局は関係国に交付して意見を求める。関係国とは、その報告書で批判的に言及されている国など利害関係国である。1996年1月には、国連人権委員会は日本政府にクマラスワミ報告書案を交付した(はずである)。私はその日時を知らないが、1月だったはずである。と言うのも、当時、1月に、報告書が出た、と言う情報がNGOにも伝わってきたからである。現在ならジュネーヴからすぐに情報が伝わるが、当時は、もっと時間がかかった。
C 報告書案を受け取った関係国は意見を述べることができる。日本政府は、本ブログで公表した秘密の「反論書」を作成し、人権委員会に提出しようとしたが、各国政府から批判を受けて撤回に追い込まれた。代わりに別の意見書を提出した。正式の日本政府意見書は吉田証言に言及していない。
D 国連人権委員会は、以上の手続きを経て確定した報告書を公表し、報告者がプレゼンテーションを行い、委員やオブザーバーの政府やNGOによる討論を経て、最後に決議案の採択を行う。1996年4月、クマラスワミ報告者がプレゼンテーションを行い、カナダ政府、韓国政府、日本政府など多数の国家代表が発言し、多数のNGOも発言するなど討論が行われ、その結果、クマラスワミ報告書は全会一致で採択された。
E 以上のことから明らかに言えることは、第1に、クマラスワミ報告書は、日本政府とクマラスワミ報告者の対話を通じて形成されたものだということである。クマラスワミ報告者が勝手に作成したものではない。
第2に、日本政府には反論の機会が与えられた。当時、吉田証言は採用できないことは明らかにされていたし、日本政府はそのことを熟知していた。それにもかかわらず、国連人権委員会の場で、吉田証言の削除を求めなかった。
第3に、日本政府は、吉田証言を含む報告書に関する決議に賛成した。決議は全会一致で採択された。日本政府は当時、国連人権理事会の理事国であったから、日本政府の賛成によって全会一致で採択されたのである。人権委員会は53か国であり、議長国を除くと52か国の賛成である。
F なお、手元に資料がないので正確な引用はできないが、報告書案が明らかになった時点で、吉見義明教授が、吉田証言の信ぴょう性には疑問が付されているので記述を削除した方が良い、吉田証言を削除しても結論に影響がない、という趣旨の手紙をクマラスワミ報告者に送ったと記憶している。
G 以上の事実について、どう考えるべきか。裁判をモデルに考えればわかりやすいだろう。民事裁判では、原告が主張した事実について被告が異議を唱えず、認容すれば、それが事実とされる。刑事裁判では、被告人の自白である。日本政府は、国連人権委員会で、自白したのである。自白を強要されたわけではない。日本政府の意思として、2か月以上の時間をかけて慎重に検討した結果として自白したということになる。
H 報告書案公表から採択までの間に、記述の訂正をアドバイスすることには意味がある。吉見義明教授の手紙は、決議採択以前に出されたものであり、的確と言えよう。しかし、国連人権委員会の採択の後に、時宜に遅れた抗弁をしても、笑われるだけである。日本政府自らが決議採択に賛成しておきながら、事後に些細なミスをあげつらっても意味がない。

I 18年後の今になって吉田証言部分の撤回を求めるのは、常識はずれであり、恥知らずである。事後になって新たな事実が判明した場合に、事情が変わったから、ということはありうる。しかし、本件に「事情変更の原則」は適用できない。なぜなら、吉田証言の信ぴょう性に疑問があることは、1996年当時、日本政府も知っていたからである。クマラスワミ報告者も、吉田証言とは別に、秦郁彦博士の見解を長々と引用したうえで、検討している。事情変更がないのに、日本政府の勝手な都合で撤回を求めるなど、ありえないことである。決議は52か国の賛成によって成立したものであり、クマラスワミ報告者個人が勝手に書き換えることもできないだろう。