佐々木辰夫『沖縄 抵抗主体をどこにみるか』(スペース伽耶、2016年)
「抵抗主体の形成とは、自己変革と社会改革の両者があいまって、両者の間に循環的・統一的に作動される実践的動体、自由と改革の挿話である」と定義する著者は、沖縄人民の抵抗主体形成を、琉球救国運動、徴兵拒否、移民・出稼ぎ労働者運動という、近代日本/琉球史における抑圧と抵抗のはざまでなされた運動体の実践的意義と限界の中に探ろうとする。
琉球救国運動については、「琉球処分」という帝国の論理ではなく、例えば後田多敦『琉球救国運動――抗日の思想と行動』によるナショナルとインターナショナルの両翼を備えた救国運動の実践的掘り起こしに学びながら、「琉球ナショナリズム」の未発の契機に着目する。
明治期の徴兵令施行に対する徴兵拒否については、特に本部(桃原)徴兵忌避事件を中心に、その時代背景、思想的意義を解明し、帝国主義戦争の時代における徴兵制との長期にわたる闘いに焦点を当てる。
「移民県」として知られる移民・出稼ぎ労働者について、著者は、単なる労働力移動の問題ではなく、自己解放のみちを模索する過程、抵抗者になる過程として再考する。沖縄自由民権運動の「敗北」に始まる移民の歴史を素描したうえで、特にゾルゲ事件で知られる宮城与徳の生涯を追いかける。
そして、「すべからく社会的不遇――処分史観の貫徹される歴史的文脈のなかにあって、その社会的諸関係を改革するべく、鋭意心がけた人びと」は、反基地の島ぐるみ闘争をはじめとする平和運動、反戦運動に継承されているとして、現在の反基地闘争をその射程に収める。
「オール沖縄」として実践されている現在の琉球/沖縄の闘いにいたる抵抗主体形成の歴史をどのように把握するのか。『沖縄戦』や『阿波根昌鴻』の著者はこの課題に挑み続けてきたが、あらためて本書で理論的基盤を固めたといえよう。
気になる点がないわけではない。本書では「琉球・沖縄人民」「沖縄人民」「沖縄県民」という用語が同じ意味で用いられている。ここにすでに混乱の種が内在している。国連人権機関では琉球民族の先住民性をめぐる議論がなされ、先住民族作業部会や人種差別撤廃員会は琉球民族の先住民性を肯定してきたが、本書はこの問題に言及せず、「沖縄県民」について語る。本書ではかつての南洋諸島に言及する際に先住民について語るが、琉球については先住民性を取り上げようとしない。書名も「琉球」を排して「沖縄」を選択している。
「琉球ナショナリズム」への視線にも共通する問題であるが、本書は琉球王国の「国家」性についてもあいまいさを残している。それゆえ、琉球とアメリカの間で締結された琉米条約とその国際法的意義には言及しない。「琉球王国」や「琉球救国運動」の階級的限界こそ重要という立場であろう。