Sunday, May 01, 2016

沖縄から日本の「常識」を撃つ

『日本と沖縄――常識をこえて公正な社会を創るために』(反差別国際運動(IMADR))
「日本と沖縄。なんでこんなに遠いのか。歴史をひもとき、世界の潮流にふれ「常識」の枠をこえて公正な社会創りへの道を問う。沖縄からの声に対する本土からの応答も試み、国連が沖縄に関して言及している資料も掲載。」
出版記念講座
琉球・沖縄の人民の自己決定権―脱植民地化の闘い             上村 英明
ウチナーンチュの言葉・文化・歴史、世界の先住民族と共に      当真 嗣清
島ぐるみ会議の挑戦―自治権拡大の国際的潮流の中で         島袋
沖縄の声を届ける―世界に、日本に、一人ひとりに                 徳森 りま
なぜ「県外移設」=基地引き取りを主張するのか                    高橋 哲哉
「常識をこえて」とあるのは、言うまでもなく「日本政府の常識」や「日本社会の常識」であり、世界の常識ではない。上村英明は先住民族の権利に関する研究および実践の第一人者であり、本書では、人民の自己決定権を平明に語る。当真嗣清、島袋純、徳森りまは、沖縄の闘いの中から、本当の自由と平等と連帯を紡ぐための視座を提示する。高橋哲哉は、日本による構造的差別を終わらせるために基地引き取りこそが重要であると説く。

本土への基地引き取り論は、本土の平和運動にとって「危険な魅力」を伴った「極論」と受け止められている節がないではない。何十年と基地反対運動、安保撤廃運動を行ってきた者には容易には受け入れられない議論である。そのことを百も承知で、高橋は基地引き取り論を突きつける――誰よりも自分自身に向けて。3.11の後に、高橋はフクシマの原発とオキナワの基地の共通性に着目して「犠牲のシステム」論を展開した。もちろん、フクシマとオキナワの問題構制は異なる。当たり前だ。それでも「犠牲のシステム」論を提示することによって、より大きな構図が見えてくる。このことは、日本の70年に及ぶ平和運動や護憲運動の限界を鮮やかに照射する。私たちは、どこで、何と、どのように闘ってきたのか。真に連帯するべき仲間を置き去りにした平和運動や護憲運動になっていなかっただろうか。本土の運動の歴史と現在を串刺しにする議論である。