Thursday, May 05, 2016

大江健三郎批評を読む(7)同時代にこだわり続ける

司修『Ōe 60年代の青春』(白水社)
画家・作家の司修は大江作品の装丁を多数描いてきた。
本書では、大江の『叫び声』と『河馬に噛まれる』の2冊を取り上げて、60年代の青春を中心に現代史を引き受けながら、同時代を語る。司は1936年生まれで、1935年生まれの大江と同世代である。80歳を迎える大江や司は、戦中の体験と記憶を持ちつつ、戦後民主主義の先頭を走り抜けてきた。それが輝ける民主主義であったとすれば、民主主義の輝きに照らされて生きてきた。それが虚妄の民主主義であったとすれば、まさに虚妄を虚妄として生き抜いてきた。
空襲と戦災の記憶、貧しい学生時代の苦労、小松川事件、安保闘争と樺美智子の死、奥浩平・高野悦子・山崎博昭、学園紛争から連合赤軍への道、ヒロシマの被爆者、冤罪・狭山事件と差別・・・

「時代を経てもなお新鮮な響きに揺さぶられ、小説の時代、その背景となる事実を切り抜き、迷いに迷いながら歩いた私の迷路の地図」という司は、80になる今も「60年代の青春」に噛まれ続けている。21世紀の現在、コンピュータ空間にあふれる情報やきらびやかな物語を横目に、司は、あくまでも「ミンシュシュギ」にこだわり、「ひとしれず微笑む」。迷路をさまようことを恐れるのではなく、迷路を逆走することを楽しむかのように。