『月刊マスコミ市民』2019年7月号掲載
拡散する精神/委縮する表現(100)
拉致問題を切り捨てた日本政府
強制失踪委員会
安倍晋三首相は拉致問題の解決に向けて取り組んできた、ということになっている。本年五月一九日の拉致被害者家族会や「救う会」などが都内で開いた国民大集会に出席し、「拉致問題は安倍政権の最重要課題」と強調したのは周知のことである。
ところがトランプ・金正恩会談の進展につれて徐々に姿勢を変えてきた。「対話は意味がない。制裁あるのみ」という基本姿勢から「前提条件なしで話し合う」に変化したことはさまざまな推測を呼ぶことになった。
実は安倍政権は昨年一一月にジュネーヴの国連人権高等弁務官事務所で開催された強制失踪委員会の場で、拉致問題を切り捨てる方針を表明した。「前提条件なしで話し合う」に変化したことと因果関係があるかどうかは不明だが、強制失踪委員会で何があったのか。政権は語らないし、マスコミも報じない。筆者は当時の強制失踪委員会の審議を傍聴していないので、限られた資料と、本年三月にジュネーヴに滞在した際の関係者からの聞き取りに基づいて判明した範囲で事の次第を報告したい。
二〇〇六年一二月、国連総会において強制失踪条約が採択された。国の機関等が人の自由をはく奪する行為であって、失踪者の所在等の事実を隠蔽することを伴い、かつ、法の保護の外に置くことを「強制失踪」と定義し、「強制失踪」の犯罪化及び処罰を確保するための法的枠組み等について定めている。条約第二六条に基づいて強制失踪委員会が設置された。条約当事国は条約第二九上に基づいて報告書を提出し、委員会で審議の結果、勧告等が出される。日本政府は今回初めて報告書を提出し、昨年一一月五~六日、委員会審査に臨んだ。
日本政府報告書は冒頭から朝鮮民主主義人民共和国による日本人拉致問題を取り上げ、詳しく報告した。事前にメディアや関係者にも繰り返しレクチャーし、拉致問題に力を入れているとアピールした。
ところが思いがけない事態になった。強制失踪委員会は拉致問題を取り上げなかったのだ。それに代えて委員会が質問したのは日本軍「慰安婦」問題であった。NGOから提出された報告書はいずれも「慰安婦」問題を報告していたからである。
苦渋の選択?
一一月五日、一日目の審査直後、日本代表団はパニック状態だったらしい。人権人道大使の目はうつろになっていたという。翌六日、二日目の審査までに、日本政府は対応を決しなければならない。というのも、日本政府は「慰安婦」問題は条約締結以前の問題だから、委員会が取り上げるべきではない」と繰り返してきた。この主張によれば、拉致問題も条約締結以前の問題だから、委員会が取り上げてはならないことになる。
拉致問題が取り上げられると安直に信じ込み、メディアに宣伝してきた日本政府は窮地に追い込まれた。「慰安婦」問題か、拉致問題か、予想外の二者択一を迫られた。
大使レベルで判断できる問題ではない。現地の五日夜から六日未明にかけて、日本代表団は必死の思いで東京に連絡を取ったことだろう。ことは外務大臣でも即断できない。当然のことながら官邸の判断だ。時間は限られている。筆者はこの間の事情をつまびらかにしていない。推測するのみだが、安倍首相の判断で、「慰安婦」問題を優先したのだろう。
委員会で、日本政府は改めて「条約締結以前の問題を委員会は取り上げるべきでない」と主張した。拉致問題を取り上げるな、という驚愕のメッセージになる。大使の手は震えていたという。
一一月一九日、委員会から「慰安婦」問題の解決を求める勧告が出されたのに対して、一一月三〇日、日本政府は「強制失踪条約は本条約が発効する以前に生じた問題に対して遡って適用されないため,慰安婦問題を本条約の実施状況に係る審査において取り上げることは不適切です」「国連に求められる不偏性を欠き,誠実に条約を実施し審査に臨んでいる締約国に対し非常に不公平なやり方といわざるを得ません」と、猛烈な抗議の手紙を出した。
ここまで来ると後戻りはできないだろう。安倍政権は拉致問題を切り捨ててでも、「慰安婦」問題に関する国際的要請をはねつけることを優先した。その判断経過をもっと知りたいものである。
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<追記>
安倍政権は、最近も拉致問題を解決するつもりがあるかのようなポーズをとっているが、もともとそんなつもりがないことは、高嶋伸欣(琉球大学名誉教授)らの批判によって明かになってきた。
それどころか、本稿で示したように、安倍政権は国連人権機関では、拉致問題をはっきりと切り捨てて、解決できないようにするために懸命の努力を続けている。解決せずにえんえんと引き延ばすことに利益を見いだしているのかもしれない。
おまけに、マスコミが事実を報道しない。国連人権機関で起きたことさえ、報道しない。
私は強制失踪委員会を傍聴していなかったため、記録と、事後の取材によって、一部の事実を明らかにしたが、真相はまだわからない。