堀田義太郎「差別の哲学について」杉田俊介・櫻井信栄編『対抗言論』1号(法政大学出版局)
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ヘルマン『差別はいつ悪質になるのか』(法政大学出版局)の翻訳者である堀田の差別論である。堀田はほかにも「差別の規範理論」『社会と倫理』29号など関連する論文を公表してきた。
「差別は悪い」のは常識のはずだが、なぜ差別がいけないのかとなると、意外なことに定説がない。むしろ意見が分かれる。法学的議論でもそうだが、哲学となると、議論は単純ではない。原理的にものごとを考えることは、適切に単純化して考えることのはずだが、それもなかなか容易ではない。
堀田はまず議論の対象となる差別の定義を整理する、区別や不利益や特徴といった要因がどのように絡むのかを整理し、歴史的社会的な文脈の重要性や、社会的に顕著な特徴をいかに位置付けるかを論じる。
悪質な差別については、伝統的な倫理学の枠組みに従って、害説(害悪説)とディスリスペクト説(尊重説)をもとに健闘する。差別が悪いのは、差別される個人に多大な不利益や害を与えるからなのか、それとも他者を同等の価値を持つ存在としてリスペクトしないからであろうか。またディスリスペクト説の中で、「意図=ディスリスペクト説」と「意味=ディスリスペクト説(社会的意味説)」を区別している。
堀田の結論は次のようにまとめられる。
「ある人々への差別的な慣行や価値観がある場合、その人々の特徴に基づく不利益扱いは、それら既存の慣行や価値観などを助長または強化または是認する意味をもつと言えるのではないか。そしてその意味は、被差別者が被る害の大きさとも、行為者の意図や動機、信念などとも独立して、行為に帰属できるのではないか。」
最後に堀田は、日本でしばしば用いられる「差別的」「差別につながる」と言う表現を取り上げる。差別だと断定できなくても、差別的だと言える場合である。
堀田はこの議論を重視する。
「これらは、典型的な差別の事例からすれば明確に差別だとは言えない境界事例と言えるかもしれない。しかし、差別が様々な行為の集合によって成立すること、そして単に諸行為が複数存在するだけでなく、それらが相互に是認または正当化し合う意味をもって関係していると考えれば、こうした事例はむしろ差別にとって中心的なものとして理解できる。諸行為の中には、単独で取り出すと『差別』とは断言できないようなものもある。しかし、それらが意味をもって相互に関係しているという点が重要だと思われる。」
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なるほど差別と言っても、多様な行為の集合によって成立することが多い。また、直接差別と間接差別もある。個人に対する差別行為と集団に対する差別も区分できる。差別の動機(人種・民族、性別、宗教、言語等)も多様だ。全体をカバーする議論のためにも、類型分けした議論が先に深められる必要がある。