Friday, February 07, 2020

星野智幸を読む(4)壊れることさえできないのなら


星野智幸『目覚めよと人魚は歌う』(新潮社、2000年)



時代の表層を掠め、断片を切り取り、スライドガラスに貼り付け顕微鏡で眺めまわしながら、見える部分をかいくぐるようにしてプレパラートを反転させる。星野の作法は、帰納でも演繹でもなく、形式論理も弁証法もまたぎ越して、淡い小説世界を浮き上がらせる。

幸福も不幸も知らない無関心な親元から逃れるために蜜夫に「さらわれ」た糖子は、不在の蜜夫を追い求め続けながら、赤砂漠の丸越の家で、息子の蜜生と暮らす。

日系ペルー人やドミニカ人などが暮らす川崎で、失業と暴走族と喧嘩の世界から逃走したヒヨとあなは、赤砂漠の丸越の家に吸い込まれていく。

幻の蜜夫を除く、糖子、丸越、蜜生、ヒヨ、あなの5人が織りなす、静かな疑似家族の愛憎劇、と言ってしまうと、ちょっと違う。それぞれの家族の情景が語られ、反目と無視と衝突と逃走の幕が繰り返される。食事、ほら貝、サルサ、隠れ家、温泉を行きつ戻りつ、すれ違いとセックスが物語を呼び寄せる。現実とも幻想ともつかない疑似家族の臨界は、現実世界の川崎における乱闘事件と報復事件によってかたどられる。

乱闘事件の落とし前をつけるために、川崎へ帰らなければならない。現実に帰るのではない。もう一つの幻想と現実の狭間に乗り入れていくのだ。



バブルの時期、仕事を求めて日本にやってきたアジアや中南米の人々、中には「定住」しはじめた人々もいたが、バブルが始め不況と失業の波に洗われることになった。日系ペルー人や日系ブラジル人など、各地で苦しい生活を余儀なくされた。「移民」を認めない政府の在留制度、「外国人」を排斥する社会、アイデンティティの危機。社会から排除された若者達の混乱と苦悩と爆発。

星野は、日系ペルー人の若者達だけでなく、日本人の側のアイデンティティの危機をも射程に入れる。単なる差別の告発にしたくなかったからだろうか。だが、その分、普遍化した、逆に言えばありきたりの、成長の悩みに近づいていく。そこをどう超えていくか。

第13回三島由紀夫賞受賞作。