浜崎洋介「『ネオリベ国家ニッポン』に抗して」杉田俊介・櫻井信栄編『対抗言論』1号(法政大学出版局)
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浜崎の『反戦後論』を読んであまり評価しなかったが、むしろ私の読みが浅かったのかもしれない。本論文で浜崎は「テロ・ヘイト・ポピュリズムの現在」をおおづかみし、近現代史の中に位置づけようとしている。その処方箋には必ずしも賛成できないところもあるが、浜崎の分析を知っておくことは必要だ。
冒頭で浜崎は「スピノザに倣いて」として<大衆―扇動者―知識人>の三位一体を突き破る課題を提示する。ヘイトに対抗する即自的な言説が、単に「一つのヘイトを、もう一つのヘイトに取り替え」る結果に陥ってはならないからだ。悲しみや怒りや憎しみの感情を諫めることよりも、「喜びの感情」を組織することのほうが先決であり、その先へ進む必要があるからだ。
浜崎は「ネオリベ国家ニッポンの運命」を論じる中で、安倍政権は一見「国家」について語っているように見えて、「ただ語っているだけ」で、むしろグローバル資本に国家状態を譲り渡す政策を続けて、「国家」を解体しているのだという。
解体の帰結として、国家による防壁が失われ、国家による保護が失われる。「中間層」の解体、非正規労働者の大量創出と再編、地方の衰退――ここにヘイトスピーカー登場の温床が形成される。ヘイトスピーカーが被害者意識とマイノリティー意識を有するのはこのためだという。それゆえヘイト対策は次のように示される。
「グローバル資本に対する『国家』の防壁を立て直すと共に、この20年間のデフレ状況を作り出した諸要因(グローバリズム、構造改革、緊縮)を追及し、それに対する処方箋(税と財政とを組み合わせた機能的マクロ経済政策)を提示し、さらに、ヘイトスピーチに対する法的規制を一刻も早く整備すること(ヘイトの定義=範囲を明確化し、それに引っかかる行為に対して左右を問わず迅速に処罰すること)である。そして、人々が、そのなかでようやく実存の根拠(交換不可能性)を紡ぐことのできる『国家状態』を回復することである。その『国家』による具体的術策を抜きにして、『悲しみの受動的感情にとらえられた人間』に、『生の喜び』、『能動性』、『善』を回復する道などありはしない。」
最後に浜崎は、スピノザとネグリ=ハートを繰り返し参照軸としつつ、「テロ・ヘイト・ポピュリズムの現在を目の前にしている私たちが語るべき言葉は、単なる『自由主義』の言葉でも、単なる『反自由主義』の言葉でもなく、私たちの『自由の条件』をめぐる言葉、つまり、共同体の不幸を除去するために建てられる『国家状態』をめぐる言葉ではないのか。『共同体』の努力ではないのか。」
ここから浜崎は「国家」そのものへ向かう思考の重要性を説き、「『国家による自由』を思考すること。それを思考すること以外に、あの<奴隷=大衆>と<暴君=扇動者>と<聖職者=知識人>とによって、強固に打ち固められた<道徳の精神=偽善>を打ち破る道はない」と語る。
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短い文章に凝縮された浜崎の見解はそれなりに理解できる。私たちが呆然と佇んでいる隘路を突き破るために、浜崎が思考を先へ、先へと拡げようとしていることもわかる。ただ、浜崎の大枠の認識を受け入れたとして、その枠組みでは、事態の解決のために何十年かかるのだろうか。何百年かかるのだろうか。
「ヘイトスピーチに対する法的規制を一刻も早く整備すること(ヘイトの定義=範囲を明確化し、それに引っかかる行為に対して左右を問わず迅速に処罰すること)」という浜崎の提言に賛成である。ただ、この提言と、上記の認識とを繋げて思考する必然性がどれだけあるのか、いまのところ私にはわからない。もう少し考えてみよう。