兼子歩「一世紀前の『ヘイトの時代』から考える」清原悠編『レイシズムを考える』(共和国、2021年)
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『図書新聞』に31回連載されたレイシズム論を1冊にまとめた著書である。全21章と1コラム。編者の清原は社会運動論とメディア論の研究者。本書には社会学、政治学、哲学、文学、芸術学、環境学、精神医学、社会心理学など多様な研究分野からの論考が収められている。冒頭の清原「差別に抗するために学ぶ」において全体の概要がまとめられているので便利だ。
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兼子はアメリカ社会史、ジェンダー研究者。共著に『「ヘイト」の時代のアメリカ史』(彩流社)がある。
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兼子は、アメリカ南部におけるリンチの歴史的考察に挑む。私たちは、先住民族や黒人奴隷に対する差別の歴史を単純化して理解しがちだが、奴隷制が終了して一定の時期を経て、黒人男性をレイピスト、犯罪予備軍として描き出す「神話」がなぜ、どのように形成されたのか。その背景を理解するためには、白人男性の世界観がいかなるものであったかを明らかにする必要があるという。
奴隷所有のプランターや、自営農民のヨーマンが形成していた南部の産業構造の変化、奴隷解放後の北部資本の南部への流入などの状況変化によって、それまでの「男らしさ」意識に変容が生じた。「南部白人男性民衆の『白人』としての特権的『男らしさ』を回復する決定的な武器」としての「リンチという暴力」が生み出される。兼子はそのメカニズムをていねいに分析している。
産業構造の変容だけですべてを説明できるわけではなく、その下でリンチを正当化する言説がいかに配備され、どのように機能したかも問われる必要があり、兼子は南部白人男性リーダーたちがリンチ正当化言説に利益を見出した理由を解明する。再建期に、「黒人支配」妥当と白人至上主義がどのように形成されたかである。
兼子は次のように述べる。
「南部エリートが主導したこのような集合的記憶は、人種隔離制度や黒人選挙権剥奪を正当化するのみでなく、白人至上主義を標榜する民主党の支配に歴史的正統性を付与し、これに対して異人種間協調に基づいて抵抗しようとする政治運動や労働運動の正当性を歴史によって否定する、という政治的機能を果たしていた。」
「黒人男性による白人女性強姦の恐怖という歴史の新たな記憶に根ざした言説を白人エリートから突き付けられた零細農民や労働者階級の白人男性たちは、社会経済的な階級の共通性に基づいた異人種間連帯か、あるいは自己に従属する白人女性を『保護』する白人男性としての人種的連帯化の選択を迫られることになる。」
家父長制と白人至上主義に彩られた「男らしさ」の幻影が黒人リンチを呼び起こし、正当化したということは、「防衛的ヘイト・クライム」と同じメカニズムかもしれない。
兼子は最後に、トランプ時代のヘイトを一世紀前のリンチの時代と対比する。時代も背景も異なるが、アメリカにおいて白人かつ男性であるということの特権性をいかに意識するかという視点での分析の必要性を指摘している。
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私は『序説』第3章第2節で、ブライアン・レヴィン、及びキャロライン・ペトロシノによるヘイトのアメリカ史を紹介した(149~159頁)。
奴隷制廃止後のヘイトの歴史的分析を詳しく考えたことがないので、兼子論文はとても興味深い。奴隷制、リンチの歴史、そして銃社会の形成(この点は兼子論文では扱っていない)を視野に入れないとアメリカのヘイトは理解できない。