Wednesday, November 30, 2022

ヘイト・スピーチ研究文献(217)レイシズムを考える07

明戸隆浩「差別否定という言説――差別の正当化が社会にもたらすもの」清原悠編『レイシズムを考える』(共和国、2021年)

1 はじめに――現在進行形の「否定」

2 事実の否定と責任の否定

3 事例(1)――「ファッキンコリア」

4 事例(2)――関東大震災における朝鮮人虐殺

5 おわりに――「差別否定」にどう対抗するか

明戸は、エリック・ブライシュ『ヘイトスピーチ』の翻訳を手始めに、ヘイト・スピーチに関する社会学的論考を多数発表してきた。法律論に傾きがちな私にとっては、明戸の分析に学ぶことは重要である。

明戸は西欧における「ホロコースト否定」に代表される「歴史修正主義」に言及しつつ、「否定」は「歴史」に限られず、「差別否定」と呼ぶべき事例があることに着目する。「直接的差別が行われた後で、それを否定したり、過小評価したり、正当化したりする」言説であり、「差別煽動」→「直接的差別」→「差別否定」という流れで理解できるという。

明戸はブライシュのホロコースト否定論の説明では、「正当化」「過小評価」「否定」の三つに分けられているという。他方、テウン・ヴァン=ダイクは、「否定」「過小評価」「正当化」「弁解」「非難」「転化」が挙げられる。明戸は、これらを手掛かりに、検討する。

一つの視点は、「事実そのものを」否定する場合と、「(事実については認めたうえで)事実についての責任」を否定する場合の区別である。

また、事実の否定だけならば「自己弁護」にとどまるが、さらに文音で被害者側に責任を押し付ける「犠牲者避難」を伴う場合がある。

明戸は、第1に「事実の否定」と「責任の否定」、及び第2に「自己弁護」と「犠牲者非難」という視点を交差させて、差別否定の分類を試みている。

明戸は具体例として、2017年の「ファッキンコリア」事件について、否定と過小評価、転化、正当化と弁解、非難の要素を抽出する。また、関東大震災朝鮮人虐殺をめぐる議論にも、否定と過小評価、転化、正当化と弁解、非難の要素があるという。

最後に明戸は、「差別否定」をあらためて「ヘイトスピーチ」の議論に位置付けなおす。ドイツをはじめ、西欧では、ホロコースト否定を処罰する例が少なくないので、これらを参照して考察すると、2016年のヘイト・スピーチ解消法の定義では「差別否定のように結果として扇動効果をもつような言動については、明示的な対象となっていない」とし、「差別否定」の言説が差別煽動としてかなり大きな役割を果たしていることに注目すべきだという。差別否定の一部は、最近、研究が進んでいるマイクロ・アグレッションとも重なるだろう。

歴史否定犯罪について、私の見解は『ヘイト・スピーチ法研究序説』第10章第5節「歴史否定犯罪(アウシュヴィツの嘘)」、及び『ヘイト・スピーチ法研究要綱』第9章「ホロコースト否定犯罪を考える」において詳しく示した。

西欧諸国ではナチスによるユダヤ人迫害をはじめとする歴史的犯罪の否定が問題となるが、東欧諸国ではスターリン時代の犯罪の否定がとわれる。他方、韓国ではこの種の立法提案がなされてきたため(法律はできていない)研究が進んでいる。また、西欧では「法と記憶」をめぐる議論になるが、ラテンアメリカでは「真実への権利」のフィールドになる。論じるべきことは多いので、明戸論文をきっかけに、さらに研究をすすめたい。