Saturday, January 11, 2014
吉見教授名誉毀損裁判・支援発足集会
1月11日は「YOSHIMI裁判いっしょにアクション発足集会」(韓国WMCA)に参加した。原告・吉見義明教授が、被告・桜内文城衆議院議員によって名誉毀損されたとして、損害賠償、事実訂正、謝罪広告を求めた裁判である。2013年5月27日、日本外国特派員協会における橋下徹大阪市長による「慰安婦」問題に関する講演の際に、日本維新の会の桜内被告が吉見教授の著作を「捏造」であると発言したものだ。吉見側は6月13日に内容証明郵便で謝罪と撤回を求めたが、桜内側が謝罪と撤回を拒否したため、7月26日、東京地裁に提訴した。すでに第1回弁論(10月7日)、第2回弁論(12月11日)が開かれている。被告側は、吉見教授を名誉毀損しただけでなく、「慰安婦=性奴隷」という認識(国際常識)そのものを捏造として、歴史を捻じ曲げる主張を展開している。主張内容はネット右翼レベルのデマにすぎないが、そうした主張を外国特派員協会で行ったことは見過ごすことはできない。沖縄における「集団自決(集団死)」をめぐる大江健三郎の『沖縄ノート』に対して右翼が起こした名誉毀損裁判と同様、日本の戦争犯罪と歴史認識をめぐる政治的な議論でもある。歴史の事実を否定する修正主義者たちは、右翼論壇やネット上で執拗に事実を隠蔽したり、捻じ曲げる主張を繰り返してきた。その結果として、教科書から「慰安婦」記述が削除される事態になった。それだけでは足りないと、彼らはあらゆる嘘を積み重ねて、事実を否定しようとしている。その動きが河野談話の否定要求であり、「慰安婦」の事実の否定、性奴隷制認識の否定である。これまで歴史学が解明し、各地の裁判所における「慰安婦」裁判においても認定され、国連人権機関でも確認された性奴隷制の事実を否定するための策動が強化されてきた。安倍発言や橋下発言もその一環である。
11日の集会では、最初に吉見義明さんがあいさつをした。日本社会は、「焼け跡のデモクラシー」で、平和で自由で民主主義的な社会を築いてきた。その貴重な伝統を尊重したい。戦争という過去の克服の課題が残されているので、歪曲発言を許さず、過去の克服をして和解を実現し、女性に対する性暴力を許さない「新たな伝統」をつくりたい、という趣旨の発言をした。
歴史学者の荒井信一(茨城大学名誉教授、日本の戦争責任資料センター設立者)は「吉見裁判の歴史的意義」として、右翼による河野談話否定は以前とは質的に異なる段階にあり、安倍発言以後、政治家もマスコミも一色になり、国際社会が何を言っても耳を貸さず、ひたすら歴史を隠蔽する姿勢を強めていることを明らかにした。さらに、アメリカとの関係での安倍の「2枚舌外交」を指摘し、「日本の歴史修正主義者の言論がいかに鎖国的状況のなかでしか通用しないものであるか」と述べたうえで、「歴史認識の抹殺」は、1990年代から被害者や国際社会が努力してきた成果、国連憲章や世界人権宣言以来の「共通の価値観」の否定につながると批判した。
川上詩朗(弁護士、吉見弁護団事務局長)は「吉見裁判の経緯と内容」として、裁判に至る経過を丁寧に説明し、「それからヒストリーブックスということで吉見さんという方の本を引用されておりましたけれども、これは既にねつ造であるということが、いろんな証拠によってあきらかとされております」という桜内発言が名誉毀損であることを示し、これまでの被告の反論に説得力がないこと、被告側が「慰安婦=性奴隷」認識そのものを覆そうという姿勢で裁判に臨んでいることを報告した。
大森典子(弁護士、弁護団長)は「吉見裁判の意義」として、「戦争についての歴史認識を世界と共有できなくなっている」日本の現状を指摘し、被告側のキャンペーンは被害者の被害を直視しないもので、「被害の告白に人間として痛みを感じない人権感覚」であると論じた。
最後に、梁澄子(支援する会「YOいっション」共同代表)が「被害者の視点から見る吉見裁判」として、1991年12月から2010年3月までの各地の裁判所における日本本軍性暴力裁判の判決において認められた事実を確認して、司法によっても性奴隷制の事実が認められてきたことを示し、被害者が望む解決を実現する必要性を強調した。さらに、現在の日本政府が、「慰安婦」問題に関する国際社会からの批判をかわすために、「慰安婦」被害者を置き去りにしたまま、現在起きている紛争下の性暴力の解決の努力をすることを国際社会に宣伝していることも取り上げた。
第3回弁論は3月3日である。通常の事案で通常の裁判所であれば、事実関係を確認し速やかに決審して原告勝訴の判決を下すべき事案だが、内容が「慰安婦」問題という非常に政治化された事件だけに審議は意外に長引くかもしれない。その際の論点は多数あるが、右翼論壇では「性奴隷とは何か」を恣意的に解釈する議論がまかり通っているだけに、原告側の主張立証を徹底する必要がある。