Thursday, January 09, 2014
大江健三郎を読み直す(2)
大江健三郎『晩年様式集』(講談社)
現代を読むために大江健三郎を読み直すことを今年~来年の課題にした。数多い作品をどのように読んでいくか考えたが、まずは、まだ読んでいない最近の作品をいくつか読み、次に最初期に戻って順に読んでいくことにした。本書は『群像』2012年1月号から2013年8月号に連載され、2013年10月に出版された、大江の最新作である。大江は何度か自作を「最後の小説」と呼んで、もう新作は書かないと称しながら、後に態度を変えて新作を送り出してきたが、2009年の『水死』(講談社)は本当に「最後の小説」になるかもしれないと考えられた。ギー兄さんや、息子・光や、伊丹十三など、家族や周囲の人物を素材として四国の森の奥の物語を描き続けた大江が、最後についに父親を正面から取り上げて、終戦の年に洪水の川に船出した父親の死の真相を追求したことにより、生涯の主題を書き終えたとされたからである。1935年生まれの大江が74歳の「最後の小説」だ。
ところが、3.11が状況を変えた。3.11の翌年1月号の『群像』に新しい連載を開始した。そこでは、フクシマの地震、原発事故、放射能の問題が直接に影を落としている。放射能被曝の恐れから四国の森のへりに転居する家族と東京の大江をめぐる家族生活に加えて、1つの柱は大江自身のこれまでの作品世界が背景をなし、もう1つの柱は脱原発を求める市民の運動が背景をなす。大江自身、日比谷公園集会など脱原発の呼びかけの先頭に立ち、激励のあいさつを繰り返してきた。当然のことながら、大江の作品世界には初期の『ヒロシマ・ノート』以来の反核の課題があり、半世紀を超えて反核のメッセージを送り出してきた。その大江がヒロシマとフクシマをつないで、78歳の今、日本と世界に向けて発信した「最後の小説」だ。大江は次のように語る。「おそらく最後の小説を、私は円熟した老作家としてでなく、フクシマと原発事故のカタストロフィーに追い詰められる思いで書き続けた。しかし70歳で書いた若い人に希望を語る詩を新しく引用してしめくくったとも、死んだ友人たちに伝えたい」。
晩年様式集という表題は大江が親しくし、晩年の盟友であったエドワード・サイードに由来する。サイードは最後の時期の作品をOn Late Style と呼んでいた。大江はこれをIn Late Styleとして作品の表題につけた。サイードの政治的立場や闘いに感銘を受け、翻訳された主要作品はそれなりに読んだとはいえ、サイードの思想を十分理解したとは言えない私には、この短い表題に込められたサイードと大江の本当の思いはまだわからない。本書を読み始めるときに不安だったのは、以前の大江作品を前提として、多くの引用によって成立しているであろう本書を、このところ大江作品を読んでいない私に読み進めることができるのかどうかだったが、『空の怪物アグイー』『万延元年のフットボール』『懐かしい年への手紙』『「雨の木」を聴く女たち』などに繰り返し言及されるが、ごく最近の作品を知らなくても、四国の森の世界をおおよそ知っていれば読むのに苦労はなかった。なお、上に「放射能被曝の恐れから四国の森のへりに転居する家族」と書いたが、その森は伊方原発から30キロにすぎない。どこかで次の原発事故が起きたらという不安を抱きながらの大江の観念の闘いは、確かに「円熟した老作家」ではなく、若々しい時代の大江の研ぎ澄まされた感性を想起させるものではある。かつて「遅れてきた青年」の著者だった大江は「遅れてきた老作家」にはならないのだろう。2年かけて大江の主要作品を読み通したら、最後にもう一度本書に立ち返ることにしよう。